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2006年8月23日 (水)

日本沈没(1973)

[1973年・監督/森谷司郎■おすすめ度★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

日本沈没 リメイクされた2006年版とは違い、1973年の森谷版は原作小説にほぼ忠実に進行する。
地球物理学者・竹内均の監修の下再現される日本列島沈没の過程は説得力をもって描かれ、監修者の竹内本人が特別出演(!)し、首相・丹波哲郎の前で映像を交えプレートテクトニクス論を「こう、ずるっ、ずるっと…」と説明するシーンはこの映画の最も見応えのあるシーンだろう。

CGによる凄い映像を見慣れてしまった今ではかなり見劣りもしてしまうだろうが、本編の日本各地に起きる災害を表現した特撮は、当時の円谷プロの技術の粋をすべて注ぎ込んだ比類なき傑作映像だと思う。
たとえそれがミニチュアだと判っていても、それを作った職人芸を堪能しろ!! 「特撮」とはそういう風に味わうものなのだ。

東京が大地震で壊滅していくさまなど、阪神大震災を経てきた現在のほうがより真に迫って観る側に訴えかけてくるだろう。

だが…悲しいかな、当時の日本では「スペクタクル大作」を作るには、映画会社に力が無さすぎた。本来、都市の壊滅を描くなら、その全景を捉えた俯瞰的構図が必須なはずなのだが、そういった映像は殆ど見られない。当時の技術でリアルに再現することは不可能だったのだろう。唯一、日本列島全体をミニチュアセットで再現しただけである。
(それでも全長十メートル程度の巨大セットは作っていたという覚えがあるが)
あとは殆ど路地裏のようなところを人々が右往左往する、というまるで戦争映画の定番空襲シーンのようなショットばかり。

たしかに小説のとおりに映像化するにはあの当時では20倍くらいの予算でも難しかっただろう。今のように自衛隊の協力なども得られぬ時代、使えるのは所謂『東宝自衛隊』しか無かったろうし。

更に、それを製作者側も承知していたのか、脚本も萎縮して矮小な展開を余儀なくされる。
殆どの展開が『D計画』の指令本部内、セリフのやりとりだけで進んでいってしまうのだ。やれ「名古屋が壊滅した」の、「××が沈んだ」の…と、現場を絵で見せずに済ましてしまう。これではまるで演劇の一幕舞台ものだ。その説明的台詞の表現の仕方、入れるタイミングも良くはない。

よくNHK大河ドラマで、何十畳の大広間で裃の武士たちが座して会議をしたまま回が終わってしまうようなことがあるかと思うが、本作はまさにその状態が続くのだ。

これではスペクタキュラー感は削がれてしまう。

あの頃の日本映画界の状況を考えれば、それでもがんばったほうなのかもしれない。だが、それに甘んじ過ぎる橋本忍の脚本はあまりに稚拙だ。とても「砂の器」という不朽の名作を書いた同一人物とは思えないほど。
もっとも、その橋本忍は監督も務め以降「幻の湖」という'迷作'も世に送り出すことになるが…

それでも、丹波首相の熱演はさすが名優、と唸らせる。島田正吾扮する政界の黒幕・渡老人から「このまま何もせんほうがいい」と云われ瞳を真赤に充血させ涙を溢れんばかりにするさまは、丹波哲郎の歴代名シーンベスト10に入れてもいいほど素晴しいとボクは思っている。
(他は「砂の器」の『繰り返し、繰り返し…』とか。観てないけど「ノストラダムスの大予言」の演説もすごいらしいので、ベスト10に入れることに決定。観てないけど。)
この丹波哲郎を観るだけでも充分価値はある。

「日本沈没」は、後に製作されたTVシリーズ版のほうが円谷プロもその誇りを賭けて作ったかのように特撮に迫力があり、凄い。内容もずっと濃厚で、映画版を遥かに凌ぐ作品となっている。

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