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2006年8月20日 (日)

日本沈没(2006)

[2006年・監督/樋口真嗣■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

リメイクものは旧オリジナル作と比較される。それは宿命だ。
なるべくそういった視点は省いて作品の評価はしたい、とは思うのだが。

'73年版と比べると、特撮(と云うよりCG)技術は飛躍的に進歩し、33年前には消化不良ぎみで本当は見たかったスペクタキュラーなシーンは充分に堪能できる。このあたりは旧作を完全に凌いでいる。
旧作やオリジナル小説とは違うラストも、主人公の自己犠牲的ヒロイズムはウルトラマンやゲッターロボなどで育くまれた遺伝子を持った樋口監督ならば、それもまた是だと思う。

かつ、樋口監督のオリジナルへのリスペクト魂は様々にちりばめられたアイテムからも充分伝わってくる。まァボク個人としては、田所博士の「科学者にとっていちばん大切なことは…カンです!!」のセリフと、'男の船'ケルマディック号が出てこなかったのはちょっと残念ではあったけれど。
全体を比較しても、映画としての総合的な評価としては旧・森谷版よりも樋口版のほうが上だとボクは思う。
正直、自称『日本沈没』マニアなボクでも、旧映画版はイマイチと思っているのだが。このあたりは樋口真嗣の絵作りが並々ならぬ力量があることの証しだろう。

問題なのは、人間の機微が描けていないトコなのだ。

確かに絵づくりはすごい。だが、それに伴うべき人間の心理に厚みがない。その点では旧作のほうに軍配が上がる。たとえば草なぎ君と柴崎コウの関係は、本編中描かれているのは、もともとが助けて助けられただけ。以降2,3回会っただけであり、そこから物語上重要な「一緒に住もう」と草なぎ君が言うところまでの感情の積み重ね、その過程がまったく描かれていない。だからけっこう唐突感が否めない。また、二人が幾度も再会するが、どうして互いの居場所をそう容易に捜索が可能だったのかが(容易そうに見受けられるだけ、なのかもしれないが)説明不足だ。
(そこを観客の想像力に頼ってしまうのは作り手の怠慢、という意味で)

必要なのは、どういったエピソードがあって、そこでどのように感情が層を増し変化していくのかであって、その「感情の変化」をきちんと示さないとただエピソードを羅列しただけになってしまうのだ。
…まぁ、そこまでヒドいというわけでもないけれど。
エピソードとは、感情の階段を一歩一歩登らせる過程を見せる手段である。残念ながら樋口版「日本沈没」にはそれが出来ていない。悪いが、台詞も薄かった。

それがシナリオからだけの因なのかもわからないけれど、前作「ローレライ」も併せて観るにつけ、どうも樋口監督のほうにも問題があるじゃないだろうか…

人間ってさ、もっともっと複雑で、重層的なものなんだよね。

だから本作から得られる観客側の感情も、それは「どこかで以前に見た」ことのある風景に己れのメモリの蓄積が触発されただけのものになってしまい、この作品から受ける独立した感動というものは発露されてはこないのだ。

ただ、だからと云って旧作の脚本の出来がいいか、ということになるとそれは違う。
あっちはあっちで脚本の出来は最悪である、と断言はしておこう。(旧「日本沈没」も近日エントリ予定)

もっともっと、人間も深く描いて欲しかった。それがあれば満点な出来。

それと、これは旧作も同じなのだが「どんどん日本の陸地が沈んで減っていく」という俯瞰的イメージがどうしても伝わってこないのは何故だろう…
ディザスター映画のはずなのに、ディザスター感がいまいちなのも残念。

やはり「日本沈没」の最高傑作TVシリーズ版を置いて他には無し、と改めて実感。

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» 愚痴をたらたら「日本沈没」 [浦嶋嶺至(礼仁)のAREA41]
と、ゆうコトで別館にエントリしてきました。「日本沈没」のレビュー。 いや、正直なところ、それほど悪い作品、とゆうワケでもないとは思うんですよ。じっさい旧映画版よりは出来はいいと思うし…いや、旧作がちょっと不満な出来ではあるのも事実ですが。 でも自称日....... [続きを読む]

受信: 2006年8月20日 (日) 03時03分

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