トップページ | 2006年9月 »

2006年8月31日 (木)

デビルマン

[2004年・監督/那須博之■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度★]

デビルマン まぁ、いろいろとあちこちで語られているとは思うし、その意味では間違いなく文句のない話題作ではあった。

まず何よりも脚本が悪い。そりゃ確かに原作漫画の『デビルマン』といえば屈指の名作、ボクの個人的ランキングでは戦後日本漫画のオールタイムベスト第2位(ちなみに1位は『あしたのジョー』)であり、既にファン各々がそれぞれ固まったイメージを持っているという難しい題材ではあるのだが…そんなことを一切排除しても、クオリティが低すぎるのだ。
逆にこれを観てコミック版の『デビルマン』がこんな程度の作品とはぜったいに誤解しないでほしい!! そんな勘違いをするなら是非原作をまず一読してもらいたい。
この日本には「デビルマンの布教」に命を懸けている人間がごまんといる。まるで秘密結社のようだ。否、秘密結社になってもぜんぜんおかしくないくらいに狂信的信者が多いのだ。かくいうボクだってそうだ。それほどに原作は素晴しい。
漫画『デビルマン』とは、カルトの経典なのだ。

脚本家に力が無いのであれば、いっそのこと原作のテキストどうりに書き上げてしまえばいいと思うのだが、そうではなく原作エピソードの順序を換え、かえって悪くしてしまっている。それは台詞でも同様で、原作中では不動明が言っていた重要な言葉を美樹に言わせてしまい、効果を台無しにするという失態を犯している。
もともとシナリオ担当者がこうしたハードなドラマを書くのには不向きなパーソナリティだったというのもあるだろうが、それだったならキチンとそれ向きの人を探してきて欲しいもんだ。…だって、東映アニメーションも制作に名を連ねているわけでしょ? こーいう話だったらアニメ畑の脚本家で適材がごまんといるだろうに。

大体において、作品のテーマを登場人物にだらだらと喋らせるなんぞ、駄目々々な脚本家の典型的パターン。そんなの、シナリオ学校で教える基本でしょ?? と思う。

と、ここまで書いて分かるように、要は製作者側に原作に対するリスペクトとか愛が無いのだ。ただ売れそうなコンテンツの版権を取り、企画を通して劇場のスケジュールを押さえただけ。ベルトコンベアーに乗せたマニュファクチュアな安かろう悪かろうの粗造製品に過ぎない。ウェルメイドなんか1ミクロンだって考えちゃいない。
そんなモノに対していかにも免罪符的に永井豪をカメオ出演させるんじゃあないっっ! と少々怒りも出ますわなぁ。

噂によれば、制作が1年も延びていたとか…でもそれだったなら、大傑作をズタボロに踏みにじるという悪魔の様な所業をする前に、スタッフ全員で原作を本がボロボロになるまで熟読しろ、と言いたい。

これはそもそも漫画というものを低く見ている映画界の風潮や偏見にも原因があると思う。ボクが漫画畑の人間だから言うわけでもないが、はっきり云ってそのへんの映画作ってる人たちなんかが絶対敵わないくらいに漫画というジャンルには人材が集まっている。
それはコミックマーケットのサークル参加者が概算5万人以上いる、という統計学的データからも明らかである。はたして、映画界にそれほどの裾野の広いアマチュア層がいるであろうか?
いや、映画界だけではない。他のあらゆるジャンルの創作活動において、それと同等のものは無いであろう。日本の漫画界というものは、世界でも類を見ない巨大なカテゴリーなのだ。それを支える層の厚さが違うのだ。
それを客観的に評価する目を、いい加減他のジャンル(小説や映画を作ってる輩)には気付いてほしい、と常日頃思っているのだが。

要は、そんな気持ちが日本の文化を覆っている限り、漫画を映像化する場合常にナメた作品しか粗製濫造されないということになってしまう。どこかでプライドや偏見を捨て、この悪連鎖をキチンと断ち切らないと、日本の映画界もダメになっていくだろう。
日本の漫画『オールドボーイ』が韓国で映像化→カンヌグランプリ受賞→ハリウッドでリメイクという世界の流れを日本の映画人・文化人連中はもっともっとよく研究して欲しい。


…話がそれてしまった。閑話休題。
だいたい、この公開の2004年といえば、いちばんの駄作はブッチギリで『CASSHERN』で決まりだと思っていたのに…いやはや『デビルマン』を観た後ではその『CASSHERN』でさえも「ナンだかんだいってもオモシロいじゃんこれー」(by Utada)とか思えて来てしまう。下には下があったものである。

おそらくやる気も出ないまま任された監督もかわいそう。いっそ辻真先が脚本を手がけていたTVシリーズ版のほうを実写化すればまだ良かったのに。そのほうが『ろくでなしBLUES』なんかでノリノリの根アカ不良番長的アクションを撮っている那須博之監督には合っていたと思う。そのあたりの那須作品はボクもおおいに好きなので、尚更本作は不本意。この一本によって那須監督の評価が一気に下がってしまった。本来なら能天気でアッパーな東映アクションを代表する名職人である。けっしてこの一作で印象を決定してほしくはない。
噂では、監督の意図とはまったく別の編集がなされてしまった、とも聞くが…
ただ、断言するが、作品をつくるのは監督の仕事だが、それがヒットするかどうかはプロデューサーの力量である。それは金策近作ジブリ「ゲド戦記」にも顕著に示されている。

これが那須監督の遺作となってしまったことがつくづく残念でならない。

デビルマン
B0001M3XH4
永井豪 那須真知子 那須博之
Amazonで詳しく見る

by G-Tools
デビルマン (1)
永井 豪 ダイナミックプロ

デビルマン (1)
デビルマン (4) デビルマン (3) デビルマン (5) デビルマン (2) デビルマン (2)
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月28日 (月)

セックス・チェック 第二の性

[1968年・監督/増村保造■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★]

セックス・チェック 第二の性 これは困った。
独自にジャンルを作って分類をしているのだが、この作品、分類のしようが無いのだ。
いちおう題材はスプリント競技だが、これを「スポーツもの」と分類するのはかなり憚られる。
かと云って、青春ものか、といえばそれも実は違う。仕方ないのでそうしたが。

原則として、このレビューサイトでは極力ストーリーやネタばれなどは避けるのが基本で、映画のあらすじを延べるのはここの本分とは違うので、それが気になる方は他のサイトなどで参照していただきたいのだが、もし本作のストーリーをまだ知らないで観ようと考えているのなら、あらすじなどはまったくインプットしないで観るべきだ。

このお話は、破綻している。

とにかく、映画の中の登場人物たちは彼ら独自の、世間とは相容れない価値観を軸に行動している。

加えて増村監督独特の濃くパワフルな演出でグイグイと嫌が応にでも説得力をもってストーリーを引っ張っていく。だが、一歩下がって考えてみよう。

ここで語られることは、ぜったいに正しくない。いや、少なくとも私はそう思う。

形式としては'スポ根もの'のようにドラマは進んでいくのだが、主人公たちは何かの熱に浮かされているかのように目的に向かって猛進する。そのためには手段は選ばない。それどころか、いつしかその目的さえも置き去りにされ、手段を邁進させることそのものが総てへと変貌していく。

…何かが間違っている!!

ひょっとしたらこの作品はトンデモ映画の部類に入ってしまうのかもしれない。だが、作り手はあくまでもこの映画を本気でつくっている。その熱病のような真剣さが画面からビンビン伝わってくるのだ。なぜそこまで? というほどに。

考えてみれば「黒い試走車」にしろ「盲獣」にしろ、増村保造はどこかで一般常識が欠落しながらも自己の欲望や信念を剥き出しで貫いていく人物を描いてきた。
傑作ぞろいの同監督だが、本作はある意味で増村保造の大傑作であることは事実。

ただ、少なくとも、映画というもので伝えられるテーマや主張が、世間一般から見て必ずしも正しいわけではない、ということをこの映画は教えてくれるだろう。

セックス・チェック 第二の性
B000GG4C52
安田道代 増村保造
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月27日 (日)

鉄塔武蔵野線

[1997年・監督/長尾直樹■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

鉄塔武蔵野線 夏休み、誰でもやった自由研究。

そんな憧憬に包まれた、TVドラマ「電車男」で一気にブレイクした伊藤淳史くんがまだ『ちびのりだー』の面影も残す子供だった頃の一本だ。

武蔵野線、といわれる送電線の鉄塔を辿ってふたりの少年が行く。川の源流を目指すが如く。
なぜ? それは本人たちにもわからない。

'あそび'にはルールはあっても目的など無い。子供にとっては行為そのものが目的であり、そこに意味や理由など無いのだ。

だからひたすら自分たちの決めたその'あそび'のルールに従って進む。進み続ける。ルールどおりの儀式を行う。のどが渇いたらジュースを飲む。ひたすら飲む。子供たちの行動は原始的で単純でもある。

自分たちにも、どこがゴールなのかわからない。もしゴールしても、その先に何があるのかも知らない。

けれど大抵の'あそび'は日が暮れたら終わりになる。「カラスが鳴くから帰る」のだ。
だが、この男の子たちにとって、この'あそび'は日暮れになっても終わることがなく続く。

少年たちはそこで初めて気付くのだ。それが彼らにとっての、大いなる未知への旅なのだということを。これは、ひと夏の少年たちの冒険の物語。

夏休み、誰にも見せない、自分たちだけのひみつの自由研究。

たまには、ひぐらしの鳴くあの過ぎし夏の日を思い出しながら、この映画に浸ってみたい。

きっとあなたにとっても、大切な一本となるだろう。

鉄塔武蔵野線
B00009SF85
銀林みのる 長尾直樹 伊藤淳史
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月26日 (土)

いぬのえいが

[2005年・監督/犬童一心・他■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★★]

いぬのえいが プレミアム・エディション 基本的に、動物と子供の出る映画はまずカタい、というのが一般的な映画界の常識。ますそこそこヒットする。そりゃ動物と子供にゃ勝てないって。
でもやっぱ泣かされてしまうのはあざとい。

宮崎あおいと小西真奈美というお気に入りの女優さんが出演しているので観たのだが、もう犬童監督演出の「ポチ」のエピソードあたりから客を泣かそう、泣かそうという意図は見え見えで、それは別にこうした映画の仕組みとしては当然だろうけど…あざとい。
それでも、その製作者側の術中にハメられてしまう。

でもそれでよしんば耐えられても、最後の宮崎あおいちゃんの出演パート「マリモ」のお話では「普通こうしたセリフが並ぶと次はこう来るな」とか考えていた自分も、それを予想してなかった展開に持ってこられてしまい思わずグっと来させられてしまった。
あざとい。
…サスガにそこがいちばんの作品のキモなので完全ネタばれは避け、書きませんが。

とにかくあそこであのセリフは、ずるい。

この「マリモ」のエピソードには原作があるらしいんですケドね。だからひょっとしたら同じ展開なのかもしれないけど。だとしたら、この本の作者はなかなかに泣かせどころを知ってるってコトですね。

犬好きだけでなく、とりあえず映画で泣きたいという人にはぜったいお薦め。だってオレでも泣いたもん。

いぬのえいがは、ずるい。

 
いぬのえいが プレミアム・エディション
B0009J96AM
中村獅童 伊東美咲 宮崎あおい
Amazonで詳しく見る

by G-Tools
いぬのえいが―小説・ポチは待っていた
4043784015
竹内 清人
Amazonで詳しく見る

by G-Tools
 
ねえ、マリモ
4062128128
やまだ けいた
Amazonで詳しく見る

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月25日 (金)

1999年の夏休み

"いちきゅうきゅうきゅうねんのなつやすみ"→「1999年の夏休み」

| | コメント (0) | トラックバック (1)

1999年の夏休み

[1988年・監督/金子修介■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★★★★]

1999年の夏休み 個人的に、平成ガメラ三部作よりも本作が金子修介監督の最高傑作だと思っている。
それは、その作品が他に比類なき一本であるからだ。

萩尾望都「トーマの心臓」を翻案(原作としての許可は得られなかったので)したこの映画は、たった4人の登場人物だけで展開する、非常にミニマムな作品である。

しかも全員女性が少年を演じている。

そう、設定こそ「全寮制ギムナジウムに集う少年たち」だが、彼ら(彼女ら)は、どちらでもない、中性的な存在として画面の中に佇んでいる。中村由利子のピアノ曲と相まって、とても透明感のある美しい作品になっている。そんな意欲的な、けれどとても静かな映画。ずっとこの雰囲気に浸っていたくなるような心地のいい空気を感じる。愛(いと)おしき良品である。

じつはこの映画の企画時点、ボクの通っていた大学の保養所をロケに使用させて欲しいというオファーがあった。残念ながら大学側がそれを断ってしまったのだが、もし大学が受けていたら、ひょっとしたらこの舞台が違っていたのかもしれない。

で、なんでボクがそんなことを知っているかというと、当時ボクは在学中でサークルの連合部会の会長をしていて、学生課からその申し出についてちょっと相談を受けたからなのだ。助言としては、別に受けてもいいんじゃないか、みたいなコトを言ったとは思う。

でも、金子監督のそれまでの作品については「みんなあげちゃう」と「宇野鴻一郎の濡れて打つ」は挙げておいたけど。

結果、学生課は断ってしまったみたいだけど、そのときに製作者側から渡っていた資料を「いらないから持ってっていいよ」と譲ってもらった。
だからウチにはこの「1999年の夏休み」の準備稿シナリオがある。

決定稿とはずいぶん違って、犬が重要な役回りで出てきたりして興味深い。もちろんボクの秘蔵のお宝だ。

参考:[金子修介公式サイトの解説ページ]

1999年の夏休み
B00005LPF5
金子修介 宮島依里 大寶智子
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タッチ

[2005年・監督/犬童一心■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★★]

タッチ スタンダード・エディション この原作が実写映画化されるのを聞いたとき、心配だったのは達也と和也の双子を誰がやるのかでも南ちゃんが誰になるかでもなく「あの長い漫画をどこまで話にすんのかな」だった。
少年サンデーコミックス版で全26巻。だから、おそらく劇場アニメ第一作「背番号のないエース」をベースに作っていくんじゃないか。で、続編を作り2部作とか3部作にするんだろう。そう思っていた。

だが犬童監督はその予想を見事に裏切り、すべてをたった一本の映画に凝縮させてしまった。

考えれば主演の三人は若く、そんな続編なんか作っている間にどんどん彼らの、役と同世代の"旬"は失われてしまう。結果かなり駆け足の展開にはなったが、一本で完結させたのは正解だろう。

本作でやはり特筆すべきは長澤まさみだ。

おそらく、もともとが彼女のためのアイドル映画的要素が企画としては強かったとは思うが、この一本の映画は彼女の瑞々しい一瞬の飛翔の瞬間を永遠に切り取ることに成功している。長澤まさみというひとりの女優の人生と、映画との幸福な出逢いがこのフィルムには記録されているのだ。
そのひとつの季節の1ページを僕らは永遠のものとして見続けることが出来る。映画はスクリーンに影を映し観る行為だが、ここで長澤まさみの生は光となり輝く。本作は、この幸せを堪能するだけで充分満足だろう。

犬童演出はある意味職人に徹してウェルメイドで観ていて飽きさせない。

けれど「金髪の草原」や「ジョゼと虎と魚たち」にハマったボクなんかにとっては『もっともっとヤっちゃってくれよ、犬童監督!!』なんて贅沢な欲求不満をちょっと感じたりもするんだけど。
…いや、ナニを期待したいのかは、わかる人だけわかってください。上の2作でこの監督が池脇千鶴にナニをさせたのかを知ってれば納得するでしょ。

タッチ スペシャル・エディション
B000CQM5LE
あだち充 山室有紀子 犬童一心
Amazonで詳しく見る

by G-Tools
タッチ スタンダード・エディション
B000CQM5LO
あだち充 山室有紀子 犬童一心
Amazonで詳しく見る

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月24日 (木)

Ray/レイ

[2004年・監督/テイラー・ハックフォード ■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★]

Ray / レイ 盲目の天才ミュージシャン、レイ・チャールズの伝記映画。

劇中繰り返し使われる"crippled"という言葉がある。
最初は主人公のレイが視力を失ったとき。字幕では意訳されるがこれは『障害者』という意味であるが、おそらくもう少し蔑称的なニュアンスもあるのかもしれない。以降、話が進むごとに彼に投げかけられるキイ・ワードとなる。

じつはこのcrippledにはもうひとつのスラング的使い方があって、いわゆるジャンキー、薬物中毒者に対しても用いられる言葉。

本編において、crippledとは盲(障害者)であり、ジャンキーであるレイそのものを指すダブル・ミーニング・ワードなのだ。

そんなcrippledなレイが、いかにその二つのcrippledな自己に克っていったか、という物語。Rayとはそんな映画である。

Crippled ボクの持っているTシャツにこのCRIPPLEDという単語がデカデカと書かれているのがあって、あんまり意味もわからず着ていた。で、ある日パンキッシュな白人の若い男の子とすれ違ったとき「OH,YAH!! ハッハッハッハッハァ」と大笑いして通り過ぎて行かれてしまったけど、この図柄にはそんな毒が含まれていたわけだ。
そりゃ大笑いもするよなぁ…

今更云うまでも無いが、主演のジェイミー・フォックスはまさに名演。作品としても非常に良品である。昔だったら"文部省推薦"とか付いていたかもしれない。

伝記とはこういうものだ、という教科書的優秀作。ぜひ学校教材にして欲しい。

Ray / レイ
B000B4NFCU
テイラー・ハックフォード ジェームズ・L・ホワイト ジェイミー・フォックス
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祭りの準備

[1975年・監督/黒木和雄■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★]

祭りの準備 ニューマスター版 中島丈博の自伝的同名小説を原作にした作品。

こういった映画について自分が論評するのは、正直いってキツい。何故かというと、このテの映画がボクは苦手だからだ。
作品の一般的評価は高いし、傑作と云われている。監督の黒木和雄もボクにとって格別嫌いなわけではない。
けれど、ボクにはどうにも、この泥臭い、土俗的な雰囲気といったものがダメなのだ。地方感溢れる舞台。方言。さびれかけの漁村。濃厚な土着的人間関係。

つくる側からすれば、たしかにいつも都会的でスタイリッシュな映像ばかり映画館で観させられることには異議もあるだろう。日本にはそんな土地ばかりじゃあ無い。むしろ大半が、こんな開発からは取り残された地域のはず。それは承知してるのだが…

もはや『好き・嫌い』という問題なので、どうしようもない。たとえば同じATG映画の「海潮音」を観たときもこんな感情を抱いてしまった記憶がある。
べつに地方を題材にしたものがすべてダメかというと、そんなわけでも無いのだ。「サード」なんか好きな映画だし「遠雷」も許せる(べつに森下愛子の裸や石田えりの豊満な胸が見れるから、だけではない)。「津軽じょんがら節」も。柳町光男の「火まつり」もなんとか大丈夫だった。

たぶん、監督の捉え方、空気感に左右されるのだろう。

だから逆に、この「祭りの準備」はそういった土着感の空気をたっぷりとフィルムに焼き付けることに成功している、とも云えるだろう。嫌悪感をも抱かせるほどに。こんな土地なら、主人公が「ここから出たい」と思い続けていることも存分納得がいく。それはたとえ惚れていた女が自分のモノになって抱けても変えることのできない感情なわけだ。惚れた女の膣(なか)や母親の胎(なか)に安住するよりも、この場所にいる、ということを断ち切りたいのだ。それだけは激しく同意できる。

いいか悪いかは別にして、田舎から脱出したい症候群の若者には格好のアジテーションムービーであることは確か。ぜひそんな地方の高校の文化祭あたりで上映し、みんなを家出少年にして欲しい。
もっとも、これに上映許可を出すような柔軟な学校なら、べつに出て行きたいとは思わないかもね。

竹下景子の初々しいおっぱいが拝める、ということは特に付記しておこう。

黒木和雄の作品としては、他と比べていまひとつ力の入れ方が微妙に弱いような気がする。黒木本人がどれ程この企画に熱心かそうでなかったのか判らないが、どちらかと云うと職人監督に徹しているように感じる。それはやはり、この作品があくまでも中島丈博の人生だからだろう。

黒木は、黒木本人の人生や思想をどこかで投影したとき、面白いものを作るひとなんだと思う。

祭りの準備 ニューマスター版
B0000V4OJW
中島丈博 黒木和雄 江藤潤
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月23日 (水)

日本沈没(1973)

[1973年・監督/森谷司郎■おすすめ度★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

日本沈没 リメイクされた2006年版とは違い、1973年の森谷版は原作小説にほぼ忠実に進行する。
地球物理学者・竹内均の監修の下再現される日本列島沈没の過程は説得力をもって描かれ、監修者の竹内本人が特別出演(!)し、首相・丹波哲郎の前で映像を交えプレートテクトニクス論を「こう、ずるっ、ずるっと…」と説明するシーンはこの映画の最も見応えのあるシーンだろう。

CGによる凄い映像を見慣れてしまった今ではかなり見劣りもしてしまうだろうが、本編の日本各地に起きる災害を表現した特撮は、当時の円谷プロの技術の粋をすべて注ぎ込んだ比類なき傑作映像だと思う。
たとえそれがミニチュアだと判っていても、それを作った職人芸を堪能しろ!! 「特撮」とはそういう風に味わうものなのだ。

東京が大地震で壊滅していくさまなど、阪神大震災を経てきた現在のほうがより真に迫って観る側に訴えかけてくるだろう。

だが…悲しいかな、当時の日本では「スペクタクル大作」を作るには、映画会社に力が無さすぎた。本来、都市の壊滅を描くなら、その全景を捉えた俯瞰的構図が必須なはずなのだが、そういった映像は殆ど見られない。当時の技術でリアルに再現することは不可能だったのだろう。唯一、日本列島全体をミニチュアセットで再現しただけである。
(それでも全長十メートル程度の巨大セットは作っていたという覚えがあるが)
あとは殆ど路地裏のようなところを人々が右往左往する、というまるで戦争映画の定番空襲シーンのようなショットばかり。

たしかに小説のとおりに映像化するにはあの当時では20倍くらいの予算でも難しかっただろう。今のように自衛隊の協力なども得られぬ時代、使えるのは所謂『東宝自衛隊』しか無かったろうし。

更に、それを製作者側も承知していたのか、脚本も萎縮して矮小な展開を余儀なくされる。
殆どの展開が『D計画』の指令本部内、セリフのやりとりだけで進んでいってしまうのだ。やれ「名古屋が壊滅した」の、「××が沈んだ」の…と、現場を絵で見せずに済ましてしまう。これではまるで演劇の一幕舞台ものだ。その説明的台詞の表現の仕方、入れるタイミングも良くはない。

よくNHK大河ドラマで、何十畳の大広間で裃の武士たちが座して会議をしたまま回が終わってしまうようなことがあるかと思うが、本作はまさにその状態が続くのだ。

これではスペクタキュラー感は削がれてしまう。

あの頃の日本映画界の状況を考えれば、それでもがんばったほうなのかもしれない。だが、それに甘んじ過ぎる橋本忍の脚本はあまりに稚拙だ。とても「砂の器」という不朽の名作を書いた同一人物とは思えないほど。
もっとも、その橋本忍は監督も務め以降「幻の湖」という'迷作'も世に送り出すことになるが…

それでも、丹波首相の熱演はさすが名優、と唸らせる。島田正吾扮する政界の黒幕・渡老人から「このまま何もせんほうがいい」と云われ瞳を真赤に充血させ涙を溢れんばかりにするさまは、丹波哲郎の歴代名シーンベスト10に入れてもいいほど素晴しいとボクは思っている。
(他は「砂の器」の『繰り返し、繰り返し…』とか。観てないけど「ノストラダムスの大予言」の演説もすごいらしいので、ベスト10に入れることに決定。観てないけど。)
この丹波哲郎を観るだけでも充分価値はある。

「日本沈没」は、後に製作されたTVシリーズ版のほうが円谷プロもその誇りを賭けて作ったかのように特撮に迫力があり、凄い。内容もずっと濃厚で、映画版を遥かに凌ぐ作品となっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月20日 (日)

日本沈没(2006)

[2006年・監督/樋口真嗣■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

リメイクものは旧オリジナル作と比較される。それは宿命だ。
なるべくそういった視点は省いて作品の評価はしたい、とは思うのだが。

'73年版と比べると、特撮(と云うよりCG)技術は飛躍的に進歩し、33年前には消化不良ぎみで本当は見たかったスペクタキュラーなシーンは充分に堪能できる。このあたりは旧作を完全に凌いでいる。
旧作やオリジナル小説とは違うラストも、主人公の自己犠牲的ヒロイズムはウルトラマンやゲッターロボなどで育くまれた遺伝子を持った樋口監督ならば、それもまた是だと思う。

かつ、樋口監督のオリジナルへのリスペクト魂は様々にちりばめられたアイテムからも充分伝わってくる。まァボク個人としては、田所博士の「科学者にとっていちばん大切なことは…カンです!!」のセリフと、'男の船'ケルマディック号が出てこなかったのはちょっと残念ではあったけれど。
全体を比較しても、映画としての総合的な評価としては旧・森谷版よりも樋口版のほうが上だとボクは思う。
正直、自称『日本沈没』マニアなボクでも、旧映画版はイマイチと思っているのだが。このあたりは樋口真嗣の絵作りが並々ならぬ力量があることの証しだろう。

問題なのは、人間の機微が描けていないトコなのだ。

確かに絵づくりはすごい。だが、それに伴うべき人間の心理に厚みがない。その点では旧作のほうに軍配が上がる。たとえば草なぎ君と柴崎コウの関係は、本編中描かれているのは、もともとが助けて助けられただけ。以降2,3回会っただけであり、そこから物語上重要な「一緒に住もう」と草なぎ君が言うところまでの感情の積み重ね、その過程がまったく描かれていない。だからけっこう唐突感が否めない。また、二人が幾度も再会するが、どうして互いの居場所をそう容易に捜索が可能だったのかが(容易そうに見受けられるだけ、なのかもしれないが)説明不足だ。
(そこを観客の想像力に頼ってしまうのは作り手の怠慢、という意味で)

必要なのは、どういったエピソードがあって、そこでどのように感情が層を増し変化していくのかであって、その「感情の変化」をきちんと示さないとただエピソードを羅列しただけになってしまうのだ。
…まぁ、そこまでヒドいというわけでもないけれど。
エピソードとは、感情の階段を一歩一歩登らせる過程を見せる手段である。残念ながら樋口版「日本沈没」にはそれが出来ていない。悪いが、台詞も薄かった。

それがシナリオからだけの因なのかもわからないけれど、前作「ローレライ」も併せて観るにつけ、どうも樋口監督のほうにも問題があるじゃないだろうか…

人間ってさ、もっともっと複雑で、重層的なものなんだよね。

だから本作から得られる観客側の感情も、それは「どこかで以前に見た」ことのある風景に己れのメモリの蓄積が触発されただけのものになってしまい、この作品から受ける独立した感動というものは発露されてはこないのだ。

ただ、だからと云って旧作の脚本の出来がいいか、ということになるとそれは違う。
あっちはあっちで脚本の出来は最悪である、と断言はしておこう。(旧「日本沈没」も近日エントリ予定)

もっともっと、人間も深く描いて欲しかった。それがあれば満点な出来。

それと、これは旧作も同じなのだが「どんどん日本の陸地が沈んで減っていく」という俯瞰的イメージがどうしても伝わってこないのは何故だろう…
ディザスター映画のはずなのに、ディザスター感がいまいちなのも残念。

やはり「日本沈没」の最高傑作TVシリーズ版を置いて他には無し、と改めて実感。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月19日 (土)

実録 私設銀座警察

[1973年・監督/佐藤純弥■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★]

「銀座」で「私設警察」となれば、それは有無を云わせず泣く子も黙る安藤組を指すに他ならないわけで。
その当事者である安藤昇を主演に据えた一本。

パワフルかつアナーキズム溢れる作品。

主役のはずの渡瀬恒彦は出ている間じゅうヒロポン中毒で血のゲロを吐き続け、当人をモチーフにしてるはずの安藤昇も終盤に差しかかったとたん指をふっ跳ばされて悶死、かくして主役がほとんど不在のまま悪ノリ加減の梅宮辰兄ィと共にラストへと雪崩れ込んでゆく、とゆうトンでもない作品。そのラストもまたトンでもない終わり方なのだが…それは是非自分の目で確認を。
と、こんな破綻スレスレを綱渡りしつつ(いや、結果破綻し尽くしてしまうのかもしれないが)、パワーとスピードで押し切ってしまう演出の力業!
同監督のフィルモグラフィーの中でも傑作の部類に入るのではないだろうか。

それにしても当時のプログラムピクチャーの話の展開の無駄のなさ。完成度、ということではなく、ほんとうに「無駄がない」のだ。必要最低限のシーンで語るべきことは充分に語る。今ならたぶん3時間くらいにはなる内容を、これにより非常にスピーディなシーン転換で繋ぎ90分という枠に収めている。
総じてこの時期の作品はこんなもんで、作り手としては、たいへん勉強にもなるのだ。

じつはマイ・フェイバリット&ベスト邦画は同じ佐藤純弥監督の「新幹線大爆破」なのだが、その抜群のおもしろさについてはまたいずれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月18日 (金)

初恋

[2006年・監督/塙幸成■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★]

初恋 (出演 宮崎あおい) 宮崎あおいは素晴しい。

本作の最大の魅力はそこに尽きる。
と同時に、塙幸成という監督の力量もこの作品の大きな見どころだと思う。

この塙監督という人物はボクは知らなかったが、非常に演出力のある、また作品をまとめる力のに長けた監督だと思う。この一作でも評価に値する。
次回作を期待できる作家だろう。

ただ、ボクが本作で気になってしまうのは、そのセリフ回し、だ。

あおいちゃん扮する主人公「みすず」の独白で用いられるそれは、妙に自己陶酔めいていて、個人的にはどうしても嫌悪感を抱かざるを得なかった。もちろん、そういった言い回しが堪らなく好きなヒトだっているだろうし、そういう御仁にとっては充分な陶酔感に浸れる映画ではある、と思うんだけど。

ただ、その点を除けば充分及第点な映画。

もうちょっと三億円を強奪する計画を立てた「何故」という理由や、「みすず」達ふたりの、互いへの心情の変化の(「好きになる」という)過程を丹念に、詳細に描写してくれれば、もっともっといい作品になったろうに、と思う。
少しだけ残念な作品。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月15日 (火)

戦争と人間

[1970~1973年・監督/山本薩夫■おすすめ度★★ 観ておくべき度★★★★ 思い入れ度★]
【第一部運命の序曲(1970年) 第二部愛と悲しみの山河(1971年) 第三部完結篇(1973年)】

「人間の條件」と同じ五味川純平を原作者とした、こちらは日活製作の歴史大作。
ただ、「人間の條件」と比較すると、残念ながら映画作品としてのクオリティはずいぶんと劣ってしまう。

加えて作風的にどちらかと云えば恋愛・ロマンスのほうに比重が置かれていたりするので、作品そのものの持つべき重厚なテーマさえも阻害されてしまう。

それでも、本作が観る価値が充分にあるのは、日本映画には珍しく大東亜戦争を加害者の視点でその醜悪さを抉り出し、観客に突きつけるからである。

満州事変から始まり、盧溝橋、そしてノモンハンへと至る大日本帝国の北方政策を背景に、戦争とは軍人や政治家たちが勝手に行うのもではない、とここでは明言をする。そこには銃を持たぬ一般の市民たちも利害により深く関わってくる。
利殖のために戦争を利用する、という行為は無実ではないだろう。我々はこうした内的矛盾を孕まねばならない。戦時下においては、非戦闘員たる市民もまた間接的加害者なのだ。この作品はそれを教えてくれる。
だが、残念ながら今の日本では被害者意識や修正主義ばかりがまかり通り、なかなかそれを声高に主張するものは少ない。それをこれだけの大作に仕上げ形に残した、その意味でも映画としては残るべき作品だろう。

だが、悲しむべきは製作された時代があまりにも悪すぎた。スペクタキュラーたる戦闘シーンは悲しいほどに貧相で、時として観ていてツラくなるほどである。潤沢な予算も与えられず、それでも会社の方針で大作としての'絵'をつくろうと足掻くさまはまさに当時のノモンハンで充分な武器も与えられず無駄に玉砕させられてゆく関東軍の兵士たちとダブる光景だ。

製作年度の70~73年は、低予算プログラムピクチャーこそまだまだ勢いを保っていたが、映画産業は次第に坂を下りつつあった頃。「日活ロマンポルノ」シリーズが始まるのが1971年だから、この「戦争と人間」はまさにその斜陽に向かうまっ只中に製作されたことになる。
その後'にっかつ'と改名したこの会社は80周年記念作品と銘打ち1992年「落陽」を製作、その歴史に止めを刺すのだけれど、ロマンポルノ移行の過渡期に作られ、結果的に一般映画制作の道を閉じる象徴的な作品となった「戦争と人間」と同じく、その「落陽」も満州事変を描いたものだった。その題名の暗喩と共に'ライジング・サン'日活の終焉と、会社トップたちのどこかで「戦争と人間」の時代を懐かしむ気持ちもあったのでは? と思わせる滑稽さも滲み出た題材のチョイスには涙を禁じえない。
(「ただ、「落陽」があったからこそマイク水野の超モンドムービー「シベリア超特急」が生まれた、ということでは記憶されるべき作品だが。)

ハリウッドの戦争スペクタクル映画と比較するより、欧州、特にイタリアあたりの作る戦争映画のような雰囲気を期待して観ればこの作品の良さもまた見えてくるであろう。

日本の生んだ戦争大作映画のひとつとして、リストには欠かすことはできない作品ではある。

戦争と人間 DVD-BOX (初回限定生産)
B0009RQX82
五味川純平 山田信夫 武田敦
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月14日 (月)

人間の條件

[1959~1961年・監督/小林正樹■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]
【第1部純愛篇・第2部激怒篇(1959年) 第3部望郷篇・第4部戦雲篇(1959年) 第5部死の脱出・第6部曠野の彷徨(1961年)※各2部ずつ封切り】

もし、日本の関わった大東亜戦争を体感できるものがあるとしたら、この映画を置いて他に無いだろう。

全上映時間、574分。(現行DVDによる。)およそ10時間にも及ぶこの6部作は、日本映画が最も力のあった時代が生んだ不滅の金字塔である。

物語は簡素だ。
『仲代演ずる主人公・梶(これほどの長尺の主人公なのに下の名が無い!!)が戦争の激化と共に満州・北方戦線に送られる。』
これだけである。いや、確かに細かいことを連ねるといろいろあるが、骨子はただこの一文に尽きる。

この映画が製作された当時、1959年といえば、まだ戦争が終わって15年も経ってはいなかった。製作者たちにも出征経験のある者も多かっただろう。だからこそ、舞台が戦地に変わってからの描写は迫真の一語である。

中でもボクが最もリアルさを感じたのが、戦線での最初の戦闘に遭遇するシーンだった。
よくあるような、勇ましく銃を放つ兵士なんてそこには一人もいない。塹壕に潜み、いつ撃たれるか、いつ爆撃されるか、という、すぐ隣りに死の暗渠が口を広げ待ち構えている極限の恐怖。戦場にいるのはヒーローなぞではなく、常に己れの意思とは無関係に放り込まれた市井の平凡な生身の人間なのだ。お国のためとか、そんな大儀名分なぞそこでは無意味だ。ただ、死にたくはないという実にシンプルな感情のみが全身を貫く。それを観客に突きつける。
戦闘シーンにおいて、これほど真に迫る映像を観させられたことは他に例がない。
このシーンを観るだけでもこの映画の価値は十二分にある。

おまけに、前線のトンでもなく広大なオープンセット。これほどの長尺をまったく飽きることなくグイグイと引っ張っていく説得力と緊張感。日本人として、必ず体験しておくべき映画だと思う。

そう、この映画を観る、ということそのものが『体験』なのだ。日本人なら、長い人生のうちの10時間は「人間の條件」に費やすべきなのだ。

かつてはオールナイトの定番で毎年どこかしらでは企画されていたこの「人間の條件」だったのだが、すべてを上映するにはあまりに長尺ゆえ、近年ではそれもめっきり減ってしまった。何せ休憩を含むと12時間にも及ぶ一大イベントである。自分も20代前半の頃、今は無き銀座松竹で観たが、たしか22時開始、終了が翌朝9時半だったと思う。これがオールナイトの初体験でもあった。

やはり年に一度くらいは一挙上映をしてほしい作品。それは、この作品を世に送り出した映画会社の義務でもある、と思う。
松竹さん、どうかお願い!

人間の條件DVD-BOX
B0000ABBUH
小林正樹 松山善三 稲垣公一
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

DVDで観賞するときも、一気に通しで観てこそ、この映画のほんとうの素晴しさが実感できる。ぜひともそうして欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月13日 (日)

雲のむこう、約束の場所

[2005年・監督/新海誠■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

雲のむこう、約束の場所

勿論、新海氏の才能が驚くほどのポテンシャルを秘めていることには全く異論の余地は無い。が、世に衝撃をもって迎えられた前作『ほしのこえ』と比べると、随分とインパクトは小さいかな、と思う。
それは無論ワン・アイデア勝負の短編とストーリーを見せなければならない長編との差もあろうが、今作は彼が『ほしのこえ』でオタク達を'うるるん'とさせた彼独自の『良さ』が、長尺になったことで逆にマイナス要因になってしまっているのではないかなァ、と感じてしまった。

技術的なところで云えば、少々モノローグに頼り過ぎかな、と。やはりシナリオで考えたとき必要なことを語らせるのはダイアローグだと思う。それがモノローグ中心で1時間以上見させられるのは少し辛い。…正直、その演出方法が途中でだんだん鬱陶しくなってきたりも感じてくる。

あと、背景はもの凄くリキが入ってるのに、それと比べるとキャラクターのクオリティが少し目劣りしてしまうのは残念。折角これだけのものを作ったのに、この尺を見せるにはあのキャラでは飽きてしまうかなぁ。
まぁ若いせいもあるけれど多少ひとりよがり気味かも。もうちょっとオトナになって他人の意見を取り入れるようになれればもっともっといい作品が出来るのではないだろうか。

…でも、そんなこんなの苦言の数々を置いといても、常に次回作を期待させるクリエイターであることは間違いはないだろう。

様々な場所で語られているだろうが、新海誠が80~90年代の日本のアニメを踏襲した、正当な後継者であることは事実。悪い見方をすれば本作は「エヴァンゲリオン」フォロワーであり、それが「オネアミスの翼」と押井守作品のバリバリ影響下でそれらをシャッフルして作った作品、というだけのことになってしまうのだが…それを肯定も拒絶もされるだろうけど、わたしは支持する。一応ね。

雲のむこう、約束の場所
新海誠 吉岡秀隆 萩原聖人

雲のむこう、約束の場所
雲のむこう、約束の場所 オリジナル・サウンドトラック ほしのこえ AIR 1 初回限定版 AIR 2 初回限定版 「雲のむこう、約束の場所」complete book
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月12日 (土)

憂國

[1966年・監督三島由紀夫/■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

憂國 文士劇、というのがある。文壇の小説家連中が仲間うちで披露をする、云ってしまえば素人劇のようなものだ。今もあるのかどうかは知らないが、故・遠藤周作はそれを発展させ素人演劇集団「樹座」を主宰していた。(蛇足だが、我が姉もそこに所属していた。)筒井康隆なぞはその域を超え玄人はだしの活躍をしている。

この「憂國」をひとことで語るなら、「三島由紀夫の文士劇」である。

原作について今更語るまでもないだろう。それを三島本人がメガホンをとり、まったく原作に忠実な映像化に成功している。寸分違わぬくらいに。その点については見事なほどである。低予算、ということもあるだろうが、三島監督はそれさえも逆手に、能舞台をベースにした極めてミニマムなセットの中でのみ物語を進行させる。「近代能楽集」などの著作があり歌舞伎の新作などを創作、その上自ら演じることまでもしていた、日本の古典芸能に造詣の深かった三島らしい作品だ、と思う。作り手の抱くイメージをほぼ完璧に形にしているという点では非常に優れた映画だろう。ただ一点を除いては。

主演の三島が下手なのだ。

ここでの三島はまったく素人演技の域を出ない。増村保造「からっ風野郎」でヘタながらも鮮烈な印象を与える三島だが、本作では単なる演技経験の浅い者が一所懸命に演じているに過ぎない。

素人演技を観客に金を払わせ観せる、という点で、本作は小説家が趣味にあかせてつくった「文士劇」そのものへと堕してしまう。

加えて、切腹に対しての三島の拘り、ナルシスティックとも云える陶酔はその行末をすでに決定づけていたのを確認させる。

すでにこの頃より、三島由紀夫は「自らの腹を切る」ことそのものに耐え難いほどの憧憬を抱いていたのだ。昭和45年11月25日の彼の行動は、日本中を、世界をも巻き込んだ彼のその願望の完遂に過ぎない。その意味では三島/盾の会の「決起」は成功だったのだろう。

生身の三島本人の監督・主演によって、それを実感させてくれるというだけでも極めて歴史的価値のある、戦後史を検証する上でも貴重な作品。

本作を、極めてアーティスティックな作品ととるか、単なるナルシスティックなプライベートフィルムと捉えるかは異論の分かれるところだろう。
だが、観るべき価値のある一作であることだけは確かだ。

正直、一生観ることは出来ないと思っていたが、奇跡的にネガが「発掘」され上映、ソフト化され今ではこうして容易に観賞することができるようになった。観ることが叶わなかった35年もの月日の重み、というものも考えつつ、本作を確認して欲しい。

[「憂國」についての関連記事]

憂國
B000E6ETR0
三島由紀夫 鶴岡淑子
Amazonで詳しく見る

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月11日 (金)

旅芸人の記録

[1975年・監督/テオ・アンゲロプロス■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★★★ 思い入れ度★★]

上映時間3時間52分。ほぼ4時間、映画館の椅子に座り続け、眼前の映像を凝視するということはそれだけで「時計じかけのオレンジ」の矯正プログラム並みに途方もない激務だ。もしこれがタルコフスキーの作品なら、その尺を聞いただけで絶望感に苛まれるだろう。

ところが、この「旅芸人の記録」はその尺の長さを苦痛には感じない。

物語の展開は決して派手ではなく、むしろ淡々と、どちらかというとゆったりとしたテンポで進む。時代も戦時を描いてはいるものの、派手な戦闘シーンが展開されるわけでもない。カット割も殆どがほぼ全体を俯瞰ぎみに捉えて、地味。ワンシーン・ワンカットを多用した長回しの連続。各々の登場人物もアップで捉えられることが少なく、ともすると誰が誰だか印象が薄くなってしまう。

なのに、不思議と「飽きる」ことがない。抑えた演出や長回しはリアリズムの希求であり、「リアル」であることが観ている側の眼を画面に惹き込ませてゆく。

ただ、第二次世界大戦前後のギリシャの歴史や、モチーフとなっているギリシャ神話の知識が無いと、この映画の魅力を本当に愉しむことはできないだろう。観賞前に「ギリシャ神話の基礎知識」くらいは予習しておくことが必修項目。

それにしても、初公開は東京・岩波ホールとは…あんなに座り心地の悪い劇場で4時間とは、さぞ苦痛だったことだろうな…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

砂の器

[1974年・監督/野村芳太郎■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★]

砂の器 デジタルリマスター版 たとえばその人物が超一流の存在ではなくても、時として超一流さえも凌駕してしまうものを創造してしまうときがある。時代やその人物の才能の成熟具合、周囲の環境、などによって。

まさにそれは奇跡の瞬間が生んだ、奇跡の作品となる。

申し訳ないが、野村芳太郎は超一流の監督であるとは云えない。黒澤明や小津安二郎と比べればどうしても一ランクは下がってしまうだろう。(誤解のないよう断っておくが、野村芳太郎はマイ・フェイバリット監督の一人である)

だが、そんな野村が黒澤や小津をも越えてしまった「奇跡の作品」が本作だ。脚本・橋本忍、音楽・芥川也寸志、原作は松本清張。これらの才能が100%の力を発揮し融合したとき、300%にも500%にもなる完璧なものを創造しえた。

映画冒頭からまったくの暗中模索から導入される物語は、進むにつれて時としてムダ足を踏みつつ徐々に真実に近づいてゆく。そして終盤、芥川の交響曲を伴い丹波哲郎・加藤剛・加藤嘉の3つのシークエンスが同時進行しつつクライマックスを迎える。それはあたかも映像のアンサンブルのようにそれぞれの主題がからみ合い、見事なほどのカタルシスにまで到達する。

映画館で上映されるたび、あちこちですすり泣く音が暗い館内に響かないときはない。

考えてみれば、この3シークエンスが同時に進行しているはずがないのだ。だが映画とは時刻表に従って順列するのではなく、編集によって時空を超え感情の昂ぶりを表出させることなのだ。本作はこれを最高の形で見せてくれる。

世界では黒澤・小津・溝口などの作品のほうが上位ランクにくるだろう。日本映画の最高峰なら断然「七人の侍」と答える。

だが、ボクにとって日本映画のオール・タイム・ベストはこの「砂の器」と小林正樹監督の「人間の條件」である。

本編で使用された芥川也寸志の組曲「宿命」は、日本映画史上屈指の名曲だ。

一生のうち、必ず観ておかなければいけない一作。

砂の器 デジタルリマスター版
B000ALVX3C
松本清張 野村芳太郎 丹波哲郎
Amazonで詳しく見る

by G-Tools
砂の器 サウンドトラックより ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」
B00005FJR7
サントラ 東京交響楽団 菅野光亮
Amazonで詳しく見る

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 9日 (水)

ロボコン

[ 2003年・監督/古厩智之■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★★★]

ロボコン 青春ものというと、たいがいの場合は恋人や死んだ友や双子の兄のために甲子園を目指したり、よくわからない格好のちょっと不良っぽい輩が渋谷あたりを闊歩して仲間のひとりがケンカで死んだりするものだけれど(それはちょっと色メガネすぎるか)、そのことについてかねがね個人的には疑問を持っていた。もっとフツウの、地味な学生たちの映画があったっていいじゃないか、と。

これはそんな地味なものたちの映画。

なにせ物語の舞台は高専。どちらかというとマイナーな世界。その中で更にロボットコンテスト、『ロボコン』出場にかける学生達のお話である。「ロボコン」じたい天下の公共放送・NHKが取り上げてはいる競技会だけど、一般的知名度はどうか…というと疑問だ。

長澤まさみ、塚本高史、小栗旬、伊藤淳史…と、今でこそ知名度のあるキャストが揃っているけれど、当時はそれほどでもなかったのも事実。

こんな、どこをどう取ってもヒットに繋がりそうにない映画を作ったことにまず敬意。

だが、そんなヒットからは少し距離を置いた作品(失礼!)だからこそ、スポ根でも何でもない、いかにも文化部系のだらだらとした仲良しクラブ的な世界を描くことも可能だったのではないだろうか。特に理系文化系クラブに籍を置いた経験のあるものなら非常に共感できる世界がこの作品では展開される。化学部、生物部、物理部、地学部、天文部…など、そういったトコに入部経験のある人にはちょっと機会があったら観てほしい。

そうでなくてもきっとこの映画を観たら「ああ、あんなコトもあったなァ」と思えるかも。そんな、どことなくセンチメンタルも想起させてくれる小品。それはたぶんどこかで脚本も兼ねた監督の学生時代の経験も反映されているのかもしれない。作り手がいかにその想い出を大切にし、温かみを持って収っているかを、ほんの少しだけ覗き見せてくれた…そんなかんじかもしれない。

ものを作る側として、ホントは自分もこんな作品を手がけてみたいなぁ。

けどそれを懐かしむ世代よりも、登場人物たちの同世代にぜひ観てほしい作品。

まだまだド新人だった、「セカチュー」に出る前の長澤まさみがいい。

今でこそ大女優への階段を着実に登りつつある彼女だが、本作でのグズグズとした仕草がたまらなくカワイイ。個人的には、この長澤まさみがイチバンだと思うのだが…

ともかく、彼女のファンなら一度は観ておくべき一本。

ロボコン
B000DZV736
古厩智之 長澤まさみ 小栗旬
Amazonで詳しく見る

by G-Tools

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年8月 8日 (火)

時をかける少女(2006)

[2006年・監督/細田守■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

時をかける少女を楽天で検索

すべての映画監督に当てはまることではないけれど、作り手として、おそらく一生に一回くらいしかつくることのできないrich harvestな一本というものがあると思う。掌中に大切にしまってあったものをそっと示すような、そんな優しくもちょっとほろ苦い味の小品。たとえば大林宣彦「転校生」「さびしんぼう」や相米慎二「翔んだカップル」、アニメ監督なら望月智充「きまぐれオレンジロード・あの日に帰りたい」とか。えてしてそれらは決して映画史的に記録されるほどの評価は得られないけれど、観た者の心にずっと残り続けるような大切なものになっていく。
誰もが心のどこかにだいじにしまっているものを掘り起こし、反芻させ、癒してくれる装置としてのフィクション。

この細田監督の「時かけ」も、そんな大切な一本になっていくような映画なんだと思う。

たぶんボクがまだ20代~30代初めくらいの年齢でこの作品を観たら、きっと自分にとってそんなかけがえのない存在になっただろう。
残念ながらそんな定義づけをしたファイルを開いてこの映画をそこに収うには、ボクは少しだけ歳をとってしまったけれど。

だから、この「時かけ」を観てそう感じたら、大切にして欲しいと思う。

これは観ている側を己れの心の中の過ぎし日々へと'タイムリープ'に誘(いざな)う映画。必見の一本。

時をかける少女 限定版
時をかける少女 限定版
時をかける少女 通常版
時をかける少女 通常版

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月 7日 (月)

下妻物語

[2005年・監督/中島哲也■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★★]

下妻物語 スペシャル・エディション 〈2枚組〉 キッチュで軽やか。だけど、そんな見てくれ以上に、以外と骨太なお話だったりする映画。

これは「ルール」についての物語。

パチンコ屋で阿部サダヲ扮する「一角獣」が言う。「それがここのルールってもんだろ?」
そう、パチンコ屋にはパチンコ屋のルールがある。
下妻という土地には下妻のルール。「服はジャスコで買う」。

主人公のひとり、イチゴの属するヤンキーレディース集団も、やはりルールがある。仕事、土地、家族、団体…人間が共同体を営む以上、あらゆる場所にはその集団ごとのルール=規則が形成され、人々はそれを遵守することによって所属意識を持ち、「何かに属している」という安心感を得ているのだ。
桃子の大好きな代官山という土地にも、そこを訪れる人たちの着る「ファッション」を統一するということで暗黙のルールを作っている。それはイチゴのそれとは明らかに異質のもの。服装=ユニフォームとは、所属を明確にするための極めて簡易なアイコン。だからイチゴたちヤンキーはお揃いの特攻服を纏う。

桃子にも桃子独自の「ルール」がある。ロリータというルール、すべてに対し距離を置くというルール。彼女は自分でそれを作り遵守して過ごすことで、他の共同体には所属しないというスタンスを築いている。
「何ものにも属さない」ということはノー・ルールではなく、他の独自のルールを築きその下に生きていくということなのだ。
だがそんな桃子だって仕事を得れば「納期」というその仕事のルールには従わねばならないのだが。
共同体の中で、そういったルールを守って生きてさえいれば、社会的な地位と安寧な日々は保障されているのだ。

けれどこんな「ルール」だらけの中で、桃子もイチゴも、いったいそのルールを破ってまでも守らねばならない、もっと大切なものは何なのか…それがこの映画で伝えたいことなのだろう、と私は思う。

基本的にはティーンズが中心読者の小説が原作のせいもあるせいか多少はプロットの甘い部分もあっても、単なるキャッチーな泡沫作ではない。

「下妻物語」は、紛ぎれもなき傑作である。

下妻物語 スペシャル・エディション 〈2枚組〉
B0001M3XHO
嶽本野ばら 中島哲也 深田恭子
Amazonで詳しく見る

by G-Tools
下妻物語 スタンダード・エディション
B0002X7IXC
嶽本野ばら 中島哲也 深田恭子
Amazonで詳しく見る

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

復讐するは我にあり

[1979年・監督/今村昌平■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★]

復讐するは我にあり デジタルリマスター版 今村昌平監督といえばカンヌを獲った「楢山節考」や「うなぎ」となるのだろうが、昔から同監督の作品を観ていたものにとってはそれよりもこの「復讐するは我にあり」を推す人も多い。

ということでずっと観たかったのだが、何故か機会を逃しつづけとうとう四半世紀、25年を経てようやく池袋新文芸坐にて観賞を実現した。
噂に違わず本作は今村監督の最もエネルギッシュな頃の一本。「楢山節考」よりもこちらのほうが『すげー作品』だった。

もちろん本作は実際の連続殺人事件を題材にしているのだけれど、本来なら(おそらく松本清張あたりなら)説明するであろう「殺人の動機」やそこに至った「理由」は語っていない。それはあたかも深作欣二が「仁義の墓場」で主人公の心理を一切理解しようとせず拒絶した、というのとは異質のもので、今村監督は殺人という主人公の行為を、食や排泄といった生や、性行為、死などとほぼ同質に描いてるんじゃあないだろうか。今村監督らしくすべてはエネルギッシュに描くけれど、どこかで冷静に見つめているように感じる。

主人公・榎津巌はキリシタンだが、神さえも存在しない。すべてが並列な世界では、超越者は不要だからだ。だから神にすがることもなく主人公は死を受け容れる。行為には報いをもって償わねばならないから。そのあとは、ただ「無」に帰すだけなのだ。

ところで作品中、池袋の映画館に入るシーンがあるのだけれど、どっかで見覚えがあると思ったらナンとそこは昔の文芸坐!
かつて中学・高校・大学時代に足繁く通った、ぷぅんとトイレの芳香剤の匂い漂うあの小屋ではないですか。
撮影された79年頃というと、たしか入場料4~500円くらいだっただろうか。最初に通い始めた頃は300円、それで二本観れたのだからいい映画館、いい時代でした。
それを建てかえられた新文芸坐で観る、というのも何やら感慨深いもの。偶然の成り行きとは云え、思わぬ想い出に浸ってしまった。

今村作品にはあまり評価も良くなかった「ええじゃないか」などもあるが、今改めて観るときっともっと違った印象を持つのだろうか。

復讐するは我にあり デジタルリマスター版
B0001FAFA4
馬場当 今村昌平 緒方拳
Amazonで詳しく見る

by G-Tools

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年8月 6日 (日)

オープン。

浦嶋嶺至と申します。

エロ漫画家を生業としております。

ふだんは他にブログを持って公開しているのですが、つねづねそっちの日記とは別に映画レビュー専用のものが必要かなアと考えていたので、今回新たに作ることにしました。

日々観た映画、今まで心に残っている映画などについてデータベース的に展開させていければと思っています。どうぞよろしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トップページ | 2006年9月 »