復讐するは我にあり
[1979年・監督/今村昌平■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★]
今村昌平監督といえばカンヌを獲った「楢山節考」や「うなぎ」となるのだろうが、昔から同監督の作品を観ていたものにとってはそれよりもこの「復讐するは我にあり」を推す人も多い。
ということでずっと観たかったのだが、何故か機会を逃しつづけとうとう四半世紀、25年を経てようやく池袋新文芸坐にて観賞を実現した。
噂に違わず本作は今村監督の最もエネルギッシュな頃の一本。「楢山節考」よりもこちらのほうが『すげー作品』だった。
もちろん本作は実際の連続殺人事件を題材にしているのだけれど、本来なら(おそらく松本清張あたりなら)説明するであろう「殺人の動機」やそこに至った「理由」は語っていない。それはあたかも深作欣二が「仁義の墓場」で主人公の心理を一切理解しようとせず拒絶した、というのとは異質のもので、今村監督は殺人という主人公の行為を、食や排泄といった生や、性行為、死などとほぼ同質に描いてるんじゃあないだろうか。今村監督らしくすべてはエネルギッシュに描くけれど、どこかで冷静に見つめているように感じる。
主人公・榎津巌はキリシタンだが、神さえも存在しない。すべてが並列な世界では、超越者は不要だからだ。だから神にすがることもなく主人公は死を受け容れる。行為には報いをもって償わねばならないから。そのあとは、ただ「無」に帰すだけなのだ。
ところで作品中、池袋の映画館に入るシーンがあるのだけれど、どっかで見覚えがあると思ったらナンとそこは昔の文芸坐!
かつて中学・高校・大学時代に足繁く通った、ぷぅんとトイレの芳香剤の匂い漂うあの小屋ではないですか。
撮影された79年頃というと、たしか入場料4~500円くらいだっただろうか。最初に通い始めた頃は300円、それで二本観れたのだからいい映画館、いい時代でした。
それを建てかえられた新文芸坐で観る、というのも何やら感慨深いもの。偶然の成り行きとは云え、思わぬ想い出に浸ってしまった。
今村作品にはあまり評価も良くなかった「ええじゃないか」などもあるが、今改めて観るときっともっと違った印象を持つのだろうか。
復讐するは我にあり デジタルリマスター版
馬場当 今村昌平 緒方拳
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コメント
日本の名優緒形拳と日本の名監督今村昌平ですか。
この作品には大胆な性描写と暴力シーンが描かれているので精神的にかなりインパクトを受けました。
投稿: 台湾人 | 2011年1月25日 (火) 18時00分