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2006年9月28日 (木)

スパイ・ゲーム

[2001年・監督/トニー・スコット■おすすめ度★ 観ておくべき度★ 思い入れ度★]

これを、
「男同士の熱い友情を描いた感動作」
だと思ってはいけない。

トンでもない人権軽視・人種差別的作品なのだ。

たったひとりの、しかも命令無視して勝手に行動した米国人を助けるために、いったい何人の中国人を殺していいというのか。
しかもその救出作戦さえも違法行為なのに、だ。

本作のテーマは、

「アメリカ人を救うためなら、シナ野郎は皆殺しだぜ!!」

である。(一部差別的表現を含むことをお詫びします)

これをみてもわかるとおり、監督トニー・スコットの描く作品はことごとくどこかモラリティーの欠如したものがほとんどである。
だが、彼のテンポのいいスピーディな演出で観るほうはつい感情が流されていき、なかなかその陰にある本質は判断できないのだが。

これとまったく同じ骨子でじつは同監督の「ドミノ」も作られている。たった一人の女の子を救うためには、違法な強盗や傷害を起こしてもノー・プロブレムだぜ!! なのだ。

これがトニー・スコットの考える正義なのだ。

たとえば批評眼があるマーティン・スコセッシあたりならこんな内容でも「タクシードライバー」になったり、ローランド・エメリッヒならブラック感たっぷりに「インデペンデンス・デイ」になったりするのだが…

思い起こせば出世作「トップガン」も敵対するソ連戦闘機のパイロットの顔は見えない。対面にあるものが同じ血の流れた生身の人間である、ということは常に隠蔽されてしまう。

じつのところ、これこそが一般米国人のマジョリティでもある。トニー・スコットはその、身内の米国人以外は人間扱いをしないという無意識なパクス・アメリカーナの裏に潜む平均的考えを代言しているに過ぎない。おそらく監督本人も自覚が無いであろう。

同じ頃に兄・リドリー・スコットがやっぱり「アメリカ軍人を助けるためなら、黒人野郎は皆殺しだぜ!!」という映画「ブラックホーク・ダウン」を作ったのも、なにやら兄弟の因縁を感じたりもするのだが。

だが、これがハリウッド映画となってその思想をグローバル化していく過程は安直に受容する前に少し診断してみたほうがいい。それには自ら批評する眼が必要だろう。

トニー作品は、つい感動する前に、半歩下がって一考したほうがいいよ。

スパイ・ゲーム
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トニー・スコット ロバート・レッドフォード ブラッド・ピット
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フィッツカラルド

[1982年・監督/ヴェルナー・ヘルツォーク■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★ 思い入れ度★★★★★]

ひと口にトンデモと言うが、トンデモ映画には「いいトンデモ映画」と「わるいトンデモ映画」がある。この「フィッツカラルド」は前者である。

船頭多くして、ではなく「船頭フィッツカラルドにして」船が山を越える映画。

凄いのは、これが特撮ではなく、本当に船を山越えさせたのだ。しかも人力で。

これはもはやドキュメンタリーだ。

物語の当初は、ちょっとイカれた主人公・フィッツカラルドのちょっと無茶な夢の実現のために奔走する姿を追っている。だが、その実現の手段としてトンでもないことを思いついた瞬間から、映画はこの男の夢想に引きずられていく。

アマゾンの奥地で、現地のインディオたちを騙し使って船を山越えさせようというのだ。

このあたりから映画そのものも妙に狂気じみてくる。ナンだかよく分からないオーラがスクリーンから発せられてくる。
いつしか物語の中のフィッツカラルド自身の「船で何をするのか」という目的も、もっと外枠にある映画を撮るという目的さえもどこかに放り投げられ、ただひたすらに「船を人力だけで山越えさせる」ということが総てとなっていく。

船を運ぶのはあくまで手段であったはずだ。だがその手段であったものが目的そのものにすり替わってしまったのだ。

先に「船頭フィッツカラルドにして」と書いたが、ここでの本当の船頭はヘルツォーク監督自身だ。実際に船を運ぶにあたり、劇中と同じく現地のインディオたちに作業をさせたと聞く。こうして、どこまでが劇でどこからが事実なのかがあいまいになってくる。

これは映画が映画としての枠組みを超越した「何か」を掴んだ瞬間である。

劇中のフィッツカラルドの夢と、監督・ヘルツォークの夢が融合合致し、実現する過程をフィルムは捉えたのだ。それも、極めて近視眼的に。
これは比類なき映画なのだ。

男とは挑戦する生き物である。それに挑み、フィッツカラルドはより困難なものに打ち克ったのだ。そんな「男の映画」として観てもこの作品は優れた存在の光を放つ。
そんな、なんだかよくわからない熱気に観ている側は圧倒させられながら映画は終局へと突き進んでいく。その結末は当初フィッツカラルドの夢想していたものとは違うものだが、もはやそれを誰一人として咎めたりはしないだろう。

我々観客は見たのだ。ひとりの男、フィッツカラルド=ヘルツォークのあまりにも無謀な挑戦と、その困難を克服した充足を。

映画のフィルムというものが、映像だけではなくそこにあった熱気や狂気などの形の無い存在までも映し撮ってしまうものだというのを見せ付けてくれる一作。決してキレイな、バランスのいい作品ではない。むしろイビツだが、これは大傑作だとボクは思っている。

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ドラゴンヘッド

[2003年・監督/飯田譲治■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

ウォーターボーイズ主役対決!!「NIGHT HEAD」の、というよりも「バトルヒーター」の、あの飯田譲治が監督ということで当初からかなり不安があった。
まぁ、「NIGHT HEAD」にせよ同じくTVからの連動の「アナザへヴン」にせよ、導入はハデに思わせぶりな大風呂敷を広げても結局広げた謎やらナンやらはまとめられないまま終わってしまうのが飯田譲治という人のつくるモノの特性みたいなモンだから、きっとこの「ドラゴンヘッド」も…とか思って期待はしていなかったのだが。

果たして、あまりにも思ったとおりな状況だったのでかえって驚いてしまった。

尻切れトンボじゃん。

…って原作があるだろ? これ。いったい原作はどこに追いやってしまったのかしらん??
ボクは原作を読んではいないが、たぶんこんな薄っぺらな内容ではないのだろうナ、くらいは想像できる。

キャッチーなモノで客を釣るのはべつに否定はしない。だが、提示した謎には答えを与えねばそれは不親切というものだろう。作り手には答える責任がある。飯田監督はそこが決定的に欠けている。

映画監督は興行師では無い。

客さえ入ればいいってもんでもないのだ。
もしそれに徹し続けるのなら、ボクは以後もう飯田の作品は観ることを辞める。

演者についても、藤木直人は意外な面を見せてくれるものの、SAYAKAはただピーピー泣き叫ぶ一本調子のままで、せっかくのオンナのコも画面に出てる意味がない。観ながら、キャラにもうちょっと主体性を持たせろよ…とか考えてしまった。
この映画の中では、主役の誰一人としてラストショットまで成長が無い。殊にSAYAKAの役はヒドい。これでは演じた彼女も可哀相というものだ。

脚本をつくるときの基本は「登場人物の成長物語=ビルドゥングスロマン 【Bildungsroman(独)】」である。そんなモノはシナリオ学校の初歩で教わることだろう。ハリウッド映画がスゴいのは、どんな映画の中でもこの要素が巧みに織り込まれていることにある。

だから多くの観客の支持を得るのだ。

成長のない人間達を見せられて、いったい何の感動があるというのか。少なくとも、自分はそんなモノを知らない。あるのならボクにメールで教えてほしい。

通常、こういったタイプのストーリーにおいては主人公は「世界を救う」か「世界の謎を解く」役割を担うものだ。そうでなければ作品として意味が無い。だが、ここで妻夫木は何もせず、ただ翻弄されているだけである。何も能動性の無い主役のドラマなぞ観ていて退屈なだけだ。

唯一の見どころといえば冒頭の脱線した新幹線のシーンのみ。せっかく作った渋谷駅周辺を再現した巨大な廃墟のセットも、もの凄く撮り方が悪いためにまったく活かされていない。
(映画を観た人の中にはここで『え? シブヤなんて出てたっけ?』とか思った者もいたのではないだろうか。それほど活かされてない。)

ボクがこれを観たのは9月1日…ちょうど『防災の日』だった。
そのシチュエィションに「ああ、この映画って単なるそーゆうパブリシティなのかな?」とか勝手に妙に納得して家路についた。
これほどの大作で心に何にも湧いてこない映画もめずらしい。

しょーがないよネ、中身も無けりゃオチも無かったんだから。

ドラゴンヘッド
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望月峯太郎 飯田譲治 妻夫木聡
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2006年9月27日 (水)

バンジージャンプする

[2001年・監督/キム・デスン■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★★]

バンジージャンプをする (韓国版) あのね。

この映画、宣伝されてたのとぜんっぜん内容がちがうんだ。

中身を知っちゃうとつまんなくなっちゃうから、あえてストーリーについては触れないけど、
とにかくあの「いかにも韓流純愛路線」みたいなイメージでこの映画を観ちゃうと目が点になっちゃうよ。

いや、恋愛映画は恋愛映画です。たしか。たぶん、そうだったはず。純愛です。ピュア・ラブです。
でも…なンか違うんだよ。

あ~言えないのがもどかしい。

イ・ウンジュさんはすっごくキレイです。早逝したの、ホントにもったいない。個人的には「クムジャさん」やTV「チャングム」のイ・ヨンエよりもずっと好みだった。たぶん別掲でいずれ書くけど、「永遠の片想い」での複雑な感情の表現は素晴しかった。繊細な演技のできる女優さんだった。
それはこの「バンジージャンプする」でも垣間見ることができる。決してベストテイクではないけれど。

本作の主役はあくまでもイ・ビョンホン。

はっきり行って、彼がこれほど上手いとはこの作品で初めて思い知らされた。包容力のある表現。この人がこんな演技ができるなんて、と驚かされた。ボクが今までに見たビョンホンの中では、この映画の演技がベストだ。

…ただ、内容がなぁ…

いや、いちおう「トンデモ」に振り分けましたが、これが受け容れられるのなら、ぜんぜんフツウに観てもいいんですよ、この映画は。でもイキナリ展開がトンでもない方向に転換するんで口アングリ状態になっちゃうだけで。

いい映画はいい映画なンですよ…たぶん。

ここで既に観て知ってる方に提案です。
まだ観ていないヒトにはぜったいに中身を知らせないで観せましょう。
そのほうがおもしろいっしょ?

ヒントは、「これって、イ・ビョンホンの『高校教師』だったんだ…」ということで。

観たヒトなら…わかりますね?? この意味が。
てコトで。

…ぜったいに中身はナイショだよ。

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2006年9月26日 (火)

8マン すべての寂しい夜のために

[1992年・監督/堀内安博■おすすめ度なし 観ておくべき度★ 思い入れ度なし]

これが伝説の実写版8マンの勇姿だ!! 色違いの頬は父・宍戸錠へのリスペクトか!?もはや最低映画として「観ておくべき」一本。評価の★はそのため。

東京ドームでの"ワールド・プレミア"の壇上にて出演の宍戸錠がこう言った。

「これまで何百本と映画に出てきたが、こんなゲンバは初めてだった」

これをあえてお披露目の席で口に出さざるを得ないほど、エースのジョーの心中には含む一物があったのだろう。宍戸開との初の父子共演なのに、である。

監督・堀内靖博、脚本・宮崎満教、鈴木淳子。脚本の宮崎は企画と製作総指揮も担当している。
ところが、この3人、検索にかけてもこの「8マン」以外ではこれ以前も以後も映画制作にまったく携わっていない。本作から15年近くを経るのに、である。

つまり、この映画は映画の素人の集団がつくったシロモノだったのだ。

<追記:その後ロマポ太郎さんにより、監督の経歴をご指摘いただきました。こちらのサイトに関わった映画リストがあります。以上訂正させていただきます。>

もともとこれを製作したリム出版という会社は、社長だかオーナーが大の8マン好きで、コミック版8マンの復刻再販にも力を入れていた。原作者の不幸な逮捕により当時発行できなくなっていた最終話を世に初めてリリースし、ようやく完結させたという大功労は高く評価していいと思う。
が、それに乗じて製作したこの映画は、いったい何のためにつくったのか分からないほどお粗末なものになってしまった。

まず何よりも、当の8マンの造型がヒドい。ヒドすぎる。画像を見つけたから貼っておくが(情報提供:キッド氏)これが動いている映像はもっと悲しいくらい貧相だ。いったいこの造型にOKを出したのは誰だ!? と思いたくなる。
そもそも原作を見ても分かるとおり、8マンには表情がある。つまり生身の人間の顔のイメージが一般的にはある筈である。なのに、本作ではウルトラマンのようなフルフェイスのマスクにされた。そのために頭身が大きく、不恰好になってしまっている。オマケに出来そのものも表面のモコモコが目立っていてチープ。あの当時の造型技術なら、ハーフマスクでも充分カッコいいモノができたはずだ。

特撮も…8マンと云えばアニメでも知られたあの「走り」だが、どうにも滑稽に見えてしようが無い。オプチカル処理をして残像がある、という表現は、ボク個人としては「まァ、いっかな」とも思うのだけれど。

いろいろと多々問題のある本作だが、この作品の語り継がれる理由は、そのたった一度の「東京ドームでの上映」にあった。

たしか、入場料は6000~6500円くらいでチケットを売っていたと思うのだが、ボクはタダで行った。べつにボクが出版関係者だったからとかでは全然ない。
イベントの一週間くらい前から、都内の書店などでこのイベントのタダ券が置かれ、配布されるようになったのだ。ボクはたしか池袋の西武あたりの本屋でこのタダ券をゲットした。山のように置いてあったのを覚えている。

いったい本当に6000円もの大金を払って行った者なぞいたのだろうか? と訝しんでしまうが、これが実際いたことも確かだから始末に負えない。その人達はもの凄く不幸な星の下に生まれたのだと思って諦めるほかない。
ここからも分かるとおり、チケットは思いっきり売れなかったのだろう。
だが、その結果ちゃんと金を払った客はスタンド席なのに、たまたま招待タダ券を入手したものがアリーナ席に座る…という捩れ状態も生み出してしまった。このあたりからもこの企画のコケ加減が推し量れようというものだ。

その上、イベントそのものも計画図と比べあまりにも貧相な出来だった。大仰なセットや大花火、レーザーカクテルでの演出…となっていたハズが、フタを開けてみればぽつねんと大スクリーンが鎮座してるだけ。花火も数発上げられただけで終わってしまった。
冒頭の宍戸錠のボヤきも当然だと納得できるイベントだった。

まさに「社運を賭けて」の映画「8マン」だったが、これが大コケしてリムは倒産、本当に社運が尽きてしまった。

当時、友人の西崎まりのがこのリム出版で小説の挿絵の仕事をしていたため多少はリアルタイムでいろんな情報はボクの耳に入ってきていたため、8マン→倒産への一部始終は観察するように見させてもらった。この業界でボクも既に20年近く飯を喰っているが、このリム出版ほど見事なツブれ方はなかった。もはや天晴れ、である。

こうしてリム出版は8マンと共に沈んだ。もともとが8マンのために興した会社だったので、オーナーとしては本望だったろう。多くの関係者に迷惑をかけたという事実に目を瞑れば、それはそれで一本筋が通っていた

ただ、ボクとして残念だったのは、当時映画との連動企画として製作された「右曲がりのダンディー」の末松正博氏描く新作コミック「エイトマン」が、この騒動のお蔭で結局未完のままになってしまったということ。この漫画はハイコントラストを基調に、スタイリッシュなフィルム・ノワール調の絵づくりでかなりカッコいい作品に仕上がっていたのだが…

結局、原本の「8マン」は完結させたが、変わりに新しい「エイトマン」を未完にさせてしまった、というのは、リム出版も罪つくりではある…

[関連リンク]

エイトマン 末松正博版
…名作っ!!
平井 和正 桑田 二郎 末松 正博
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宇宙貨物船レムナント6

[1996年・監督/万田邦敏■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

レムナント6おそらく、この作品を撮ったひとは、映画の撮り方を知らないのではないだろうか。

そう思えるほど、この映画は悪い。
レベルが低い、というのではない。「わるい」のだ。

脚本上の台詞回しがそれほど悪いわけでもなかっただろう。無論脚本そのものに問題がまったく無いとは言い難いが、それ以上の問題はまさに「撮り方」、カメラワークにある。

映画を撮るものには絵コンテを描ける者とそうでない者がある。この監督はおそらく後者だろう。もし前者だったら、尚更問題だ。

どこかでこの監督が本作を撮影したときの意図について「あえてハデな絵や構図は押さえ、地味な絵作りを心がけた」といったようなことを話していたのを覚えている。

…そうじゃないだろ? と思う。

自論だが、殊にSF映画とは「絵づくり」である。

たとえばアオり、俯瞰、斜め構図、フィッシュアイ…様々なカメラアングルのテクニックを駆使し「おもしろい画」を提示するのがSF映画を作るものの努めというものだろう。
この監督は、そういった努力を放棄している。絵が圧倒的につまらないのだ。

特にこのお話はほぼ100%が貨物船の船内でドラマが進展し、主要な場所は狭い2,3のセットのみだ。船内に覗き窓も無く、外の宇宙空間とは断絶している。
つまり、「内」と「外」とはまったく接触や連続性が無い。
そんな設定では、ともすれば単に狭く、限定された室内でのみのドラマは、外の世界の無限大の広さとの連関は途絶し、観る側からは非常に退屈なただの室内セットドラマと化してしまう。

ボクはいわゆる「潜水艦もの」というジャンルが嫌いだが、その理由もここにある。
宇宙船ものというのは、じつは以外と撮り方・見せ方の難しいジャンルなのだ。

だから尚更カメラワークなどには細心の注意を向けなければ、面白くはならない。絵コンテをしっかりと練るほどでなければいけない。
それをあえて監督が放棄した時点で「レムナント6」は最初から失敗作を約束されたようなものであった。

あとは…この万田監督というひと、もの凄く音楽のセンスが悪い。選曲も、その使い方も。ボクは彼の他の作品も観たが、正直そこについては評価できない。
あくまでも個人的意見として、と断るが、ボクとしてはこの監督については評価は無し、である。その理由は、ボク自身の考える演出理論とまったく相容れない法則で映画を撮っているから…とだけ言うに止めておこう。
必要ならばレポート10枚でも20枚にでも渡って論じますケドね。

押井守が総合監修としてクレジットされている…が、本人のコメントではたしか「タイトルの『レムナント』って言葉を考えてあげただけ」だったかと思う。この言の裏に含ませた押井の見解を推して知るべし。

宇宙貨物船レムナント6(VHS VIDEO)
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2006年9月24日 (日)

ガンヘッド

[1989年・監督/原田眞人■おすすめ度★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★]

B級くささムンムンボクの知人の小説家がこれを観て言った。

「だれか止めるヤツはいなかったのかよ…」

本作をたった一言で表現するなら『ぐだぐだ』である。全体がユルく、締まりが無い。

ハード面でのスタッフはいい。はっきりいってこれでもか、というくらいにいい。殊にガンヘッドの造型は河森正治。あのMACROSSの完全変形バルキリーを創造した天才である。

なのに、なぜそういった印象を抱いてしまうのか?

思うに最大の理由は、劇中全体の台詞回しにあるのではないだろうか。カッコいいように見えて、その実もの凄く薄っぺらでクサいのだ。聴いていてだんだんに白けてくる。キャラクターもまた薄っぺらだ。

想像の域だが、監督もつとめた脚本の原田眞人はアニメ畑(サンライズ)からの企画ということでケレン味をたっぷりと加えて描けばいいと考えたのではないだろうか。だが、原田の考えるそのケレン味は残念だが実写という媒体との相性があまり良くはなかった。
必要だったのは「アニメ的」であることではないし、原田の考える「アニメ」は、あまりにも古いイメージのままだったのだろう。
いや、ひょっとしたらクレジットではあくまで原田眞人だが、それ以外の多くの手が入ってしまってこんなコトになっているのかもしれない。
観ている側との意識のギャップは、こんなところにあったのではないだろうか。

企画そのものを吟味すれば、「ガンヘッド」の方向性は決して間違ってはいなかっただろう。もしすべてが上手く回っていれば日本の特撮映画のその後を方向づけるほどの意欲的な作品だったはずだ。

これは、多くの人の手を経ることにより、次第に先鋭さを削り取られ、結果やる気のない駄作となってしまうという日本映画の最悪の道を通ってできてしまった墓標なのだ。

我々は、この「ガンヘッド」の屍を乗り超えていかねばならない。

同じ頃に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開され、その完成度やアイデアの詰め方の凄さに、日米の差はますます広がることを思い知らされた------とは、先の同じ小説家の談。俗に「さよならジュピター、また来てゴジラ」と揶揄されたこの時代の日本特撮映画の現状だが、おそらくはこの「ガンヘッド」がとどのつまりとなってしまったのではないだろうか。
海外公開ではついにクレジットには
"Directed by ALAN SMITHY"
の文字まで刻まれることになる。ここまでくると、もう非難より同情してやりたくもなってくる。
(ちなみに日本の作品でアラン・スミシー監督作となったのは他に「クライシス2050」がある)

だが、今にして思えば、「ガンヘッド」のそのユルさ・薄っぺらさはもの凄くB級臭漂う芳しき香りで、改めて今観てみればそれはそれなりに楽しめるのかもしれない。

いつか再観賞をしてみたい作品ではある。

「ガンヘッド」についての参考サイト→Club"Bバンガーズ"

ガンヘッド
B000JRYN66
高嶋政宏 原田眞人 ブレンダ・バーキ


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ゴジラVSメカゴジラ

[1993年・監督/大河原孝夫■おすすめ度★★ 観ておくべき度★ 思い入れ度★]

ゴジラvsメカゴジラこの作品で前々作「VSキングギドラ」ですっかり歪みきった平成ゴジラシリーズの方向性が、修正不能な形に決定づけられてしまったという点において忘れ難き作品。「VSモスラ」で多少はナンとかなるかナ? とも思えたものの、これは平成ゴジラのもう戻れないフェイル・セーフを超えた一作だった。

それでも良いところを探してみれば…メカゴジラの造型は認める。賛否は当然あるだろう。ボク自身もかつてのゴツゴツしたメカゴジラのほうが実は好みだったりするのだが、それをなんとか現代風メカにアレンジしている、という意味でそれなりに評価はしたい。(丸顔なのだけはカンベンしてほしいが。)
そりゃいいハズで、デザインは「ゴジラ伝説」の西川伸司だ。メカゴジラについての思い入れ度といったらそりゃハンパじゃないだろう。

知らないヒトのために簡単に説明しておくが、「ゴジラ伝説」とは西川氏が同人誌で発表した、それこそ伝説的歴史的作品で、その作品中でも思い入れたっぷりに描かれているのがヘドラとこのメカゴジラ。やはり思い入れの深い人の造ったものには畏敬の念が自然と生じてしまう…って、結局は単に西川氏のファンなだけなんだろうな。
悪くいえば、どうしても漫画畑の西川デザインは、二次元には映えるのかもしれないが、それが立体になったとき必ずしもカッコいいものにはならない、ということにはなるのだが。

合体してスーパーメカゴジラになるなど、アニメ演出からの影響、というか苦し紛れ気味の設定も目に付くが、好みの問題かもしれない。正直ボクはあまりこの設定は是とは考えていないが、あの時代、怪獣映画をどうにか盛り上げようと頭をひねった結果なのには同感する。
ただ…やはりキングギドラと同じく、メカゴジラも自衛隊の兵器に貶めるのにはどうにも納得いかないのだが。

ストーリーについては…もはやキッズ・ムービーだと開き直った感が強く、安直な展開が目に余る。
中でも、いったん死んだゴジラがラドンの命を吸って復活する、などというクライマックスの展開など、ご都合主義を通り越していい加減もはなはだしい。もはや物語を投げているとしか思えない。怪獣のバトルを延々と人間に説明させる、という平成ゴジラの悪習もこの映画で全開する。
何度でも描くが、このようなナメたつくりが映画をダメにするのだ。作り手は常に真摯でなければならない。

物語中のメカギドラのサルベージと共に「VSキングギドラ」の悪夢的駄世界もまた引きずり出し、蘇らせてしまったのが本作だった。平成ゴジラは最後までこのダメダメな設定世界のまま続いていかざるを得なくなる。
これこそ、このシリーズの悲劇であった。

それでも本作はヒットした。思えばこれが以後の平成ゴジラを貶める一因となったのではないだろうか。どれほどゴミのような内容のコンテンツでも、パブリシティさえしっかりやっておけば客は入ってくるのだ、という法則に会社が気付いたのだ。

以後、ゴジラは単なるモンキービジネスの化身となり、日本列島のご当地を順繰りに暴れ廻されることになる。寅さんのように。

ゴジラ映画は、正月のコドモのお年玉を簒奪するただの集金システムとなる。

ゴジラvsメカゴジラ
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大河原孝夫 高嶋政宏 佐野量子
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GODZILLA FINAL BOX
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手塚昌明 横谷昌宏 金子昇
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ゴジラVSビオランテ

[1989年・監督/大森一樹■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★★]

ゴジラvsビオランテ だいたい「抗核バクテリア」ってナンじゃい??

ここでひとつ素人ながら私説を論じさせてもらうが、たとえば生物の新陳代謝・消化吸収なんてェものはモトを正せば化学的反応のはずだ。ヒトが塩分を摂取するとき、塩化カルシウムCaClと同質のKClを吸収してしまうように、よしんば放射性物質であろうとも同じ塩基系列のようなものであるなら吸収してしまうかもしれない。だがそれはあくまで化学的反応であり、分子内に含まれた放射性同位体そのものから発する放射能は変えられるはずがないのではないだろうか。
放射能を除去するにはその半減期を待つか、イスカンダル星から技師を招いてコスモクリーナーDを起動させなければ不可能だろう。

単なる化学的置換だけでは核の放射能は消去できない。

それでもよしんば百歩譲ってその抗核なんたらが発見されたとしよう。もしそれにより放射能除去が可能なら、ゴジラ殲滅よりも医者として原爆被害に苦しむ人々に応用すべきだ。
…まぁ、それは蛇足だが。

要するに、SFにおける科学考証というものは、こんな素人ごときに突っ込まれる程度の穴があってはいけない、ということだ。そういった映画界の作る側の甘さ・観客不在のナメた態度が日本映画をダメにした、とボクは思っている。

なに? ゴジラはSFじゃないって?

そのような甘い見解がいかんということがわからんかぁぁ!!!

…と、冒頭から苦言ばかりを述べてしまっているが、実はボク的にはこの「VSビオランテ」の評価はそれなりに高い。それは、ゴジラという極めて固定化されたイメージの世界に、何がしかの風穴を開けようと努力しているからだ。
あたかも、劇中の展望レストランの天井に残されているゴジラ襲撃の足跡の如く。

ビオランテというまったく異質な怪獣像。でありながら、怪獣ばかりに目が行くことなく、人間側のドラマもきちんと描かれている。一本の映画として、ちゃんと観賞に耐えうる出来になっている。東宝自衛隊もしっかりと闘いに参加し、日本の国益を守ってくれている。
平成ゴジラに対しては辛口ばかりを述べているが、こと「VSビオランテ」についてだけは別だ。
おそらくは「平成ガメラ」にも本作が影響を与えたであろう、というのはすでに定説だろう。

実を云うと、本作こそが1954年の第一作「ゴジラ」の最も正当な後継作なのではないのか。そうボクは考えている。
先述のこのレストランの足跡や、本編冒頭の地下道の描写、街のいたる場所に残されたゴジラの通った爪跡…これこそが、本来ゴジラという作品が持ちえていたディザスター映画のテイストだ。
そう、ゴジラ映画とは、怪獣ものである以前に、シリアスなディザスター映画でなければならない。昭和・平成・ミレニアムと何十作と作られたゴジラ映画だが、この「ディザスター」感を感じさせるのは初作と「VSビオランテ」くらいしか無いだろう。

本作は一般公募でストーリーを募集したが、あるウワサではこれは次点だった、とボクの耳には伝えられてきたことがある。トップ選考だったストーリーは、

出現したゴジラを自衛隊が北海道方面へ誘導、ゴジラを利用して北方四島を奪還する

という話だったとか…ボツになったのは「あまりにも内容が過激すぎる」ということだった、らしい。

もちろん、あくまでもただのマニア間での噂話・ヨタ話。単に「こんなのありそう」が伝わるうちに膨らんでいっただけなのだろうと思うので、もはや真偽のほどは不明、これはひとつの都市伝説となっているのだが…もしこれが本当で「ゴジラ2」がこのストーリーだったなら、なかなかに斬新で面白い作品となっただろう。
でも多少ブラックすぎるかも。

残念ながら本作は興行的には不成功に終わり、以後平成ゴジラは大きな舵取りをしていく。
それはゴジラそのものの迷走の始まりでもあった。

だが、ボクは改めて断言する。
この「VSビオランテ」こそ、ゴジラ映画の精神を正しく受け継いだ逸品である、と。

ついでながら、
心ひそかにボクはこの作品を「ゴジラVS沢口靖子」と呼んでいるのだが…

ゴジラvsビオランテ
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大森一樹 三田村邦彦 田中好子
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2006年9月23日 (土)

ゴジラVSデストロイア

[1995年・監督/大河原孝夫■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度★]

ゴジラvsデストロイア観終わって幕が降りたとき、ボクは思わず映画館の中心でこう叫んだ。(これは実話である!)

「やる気がないなら作るなぁ!!!!!」

ひどい作品だ。愛が無い。「フランケンシュタイン」ではないが、愛が無いなら造ってはいけないのだ。
こんなモノを乱造されるのなら、ゴジラも太平洋の底で静かに眠らせてあげておいて欲しい。

脚本もひどい。内容は言わずもがなだが、技法の点でも最低だ。
怪獣たちの闘いを、見ている人間たちがいちいち説明をする。ナンじやそりゃ? である。状況説明的セリフなど、シナリオ学校で減点になる基本だろう。
シナリオライティングという点で、やる気が無いとしか思えない。

そもそも脚本を担当した大森一樹は京都府立医科大学医学部卒というキャリアを持っているのだから、たとえばその専門知識を活用して生物学的なゴジラや怪獣像を創造しうる可能性があったはずだ。
ボクは大森一樹を全否定する気などさらさらない。「ヒポクラテスたち」は大傑作だと思っているし、好きな映画だ。だが、一連の、殊に「VSキングギドラ」以降の大森ゴジラに関しては首を傾げざるをえない。ゴジラを意味もなくアルティメットな無敵の存在にしてしまった罪は果てしなく重い。

本作ではゴジラがメルトダウンを起こすのだが…いったい、ゴジラの体内には核反応炉や高速増殖炉でもあるとでも言うのだろうか。自然界のウラン採掘場でも勝手にメルトダウンを起こすようなことはないだろう。少なくとも、ボクは今までそんなニュースを聞いた覚えはない。
この設定の上での「カドミウム弾」の使用は面白いとは思うが…

そもそも、ゴジラはビキニ核実験で放射能を浴びた古代生物だったはずだ。この「VSデストロイア」では特に初作を引き継いでいるので、それを遵守するならば、そんな体内に高濃度の放射性物質を抱えているわけではない、ということは創造の域なのだが。ゴジラはあくまでも放射能を浴びて変貌しただけであり、べつに放射能を栄養源としているわけではない。

それに伝家の宝刀「オキシジェンデストロイヤー」を持ち出してはきても、どうも免罪符的な感が否めない。デストロイアにしたって、どうして合体ができるというのか。医者が脚本家なら生命についての考察はしっかり考えてほしい。ここからも、怪獣映画というものをナメているのが明白だ。

もしボクが脚本を任されたなら、宝田明を第一作と同じ役で出す。平田昭彦演じた芹沢は劇中で殉職、志村喬も亡き現在、宝田だけが初代ゴジラを知る生き証人だからだ。宝田は「FINAL WARS」で復活するが、まったく別の役としての登場だった。ここはやはり同じ'尾形'として出すべきだったと思う。
それこそがゴジラ愛があるということではないだろうか。

加えてここが決定打だが、この作品のラストはゴジラ映画史上最低である。作り手がドラマを創造することを放棄した証しだ。こんなやる気のない結末を、それまで、耐えて、耐えて平成ゴジラを観続けてきたオールドゴジラファンに最後の最後になって突きつけるなど、愛がないにも甚だしい。このエンディングを観て自分は本文冒頭の言葉を叫ぶことになるのだが。
要するに平成ゴジラはゴジラやSFに何の愛もリスペクトも無い者達の産物だった、とこの瞬間にボクは思い知らされたのだった。

USA似非ゴジラを経、ミレニアムシリーズに至りゴジラは徐々に誇りをとり戻し、我々もようやく溜飲が下がっていくことになる。

ゴジラvsデストロイア
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大河原孝夫 辰巳琢郎 小高恵美
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手塚昌明 横谷昌宏 金子昇
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2006年9月 5日 (火)

ゴジラVSキングギドラ

[1991年・監督/大森一樹■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度★]

ゴジラVSキングギドラこの映画をつくった連中は、SFというものをナメきっている。まったく不理解もはなはだしい。タイムパラドックスについての解釈もムチャクチャだし、サイボーグ(アンドロイドだったか?)の描写も身が凍るほど貧乏くさい。B級SF映画でも、こんな酷い表現のものはない。この一本を観て「もう平成ゴジラになにかを期待するのは辞めよう」と諦念を抱かせるのには充分な出来だった。

すべてのゴジラ映画の中でも最低の作品なのではないだろうか。

製作当時、ゴジラを観て育った世代は漫画やアニメなど様々な表現ジャンルに拡散し活躍を始めていた。本作でキングギドラの造型デザインに携わった西川伸司も、80年代初頭に同人誌「ゴジラ伝説」という、まさに伝説的な作品でコミケに名を馳せていた。

だが、悲しいかな、あくまでも年功序列を固持し続ける映画界というシステムは、そんな「ゴジラ愛」に満ちた若い才能を登用することができず、ゴジラには最も思い入れの乏しい世代に責任を託してしまった。

70年代に大学でいっしょうけんめい自主映画を撮っていた大森一樹のような監督が、熱烈に「東宝チャンピオンまつり」の旧・ゴジラシリーズを観に行っていたわけがないだろう。
彼を含む世代は、あくまでも彼らの「イメージとしてのゴジラ」をこの作品でフィルムに焼き付けたに過ぎない。「ゴジラ映画ってさ、こんなモンだろ?」という。本作の失敗はそこにある。本質を見つめることを怠り、先入観だけで製作された映画だった。

吉田拓郎も唄ったように、古い船を動かせるのは、古い水夫ではないのだ。

だからハナから「所詮ガキの観るモンだろ?」という、コドモだましのシャシンをつくればいいという甘い意図が見え見えである。
だが、子供たちだってそんなオトナの態度は敏感に受け取ってしまうもの。子供をナメてはいけない。コドモの目にだって、ヒドいものはヒドく映る。むしろ子供に見せるものだからこそ、ちゃんと丁寧に作らねばならないはず。まっとうな作り手ならそんなことは自明だ。

かつてのゴジラ映画には、そんなコドモをナメたような態度は見られなかったはずだ。たしかに明らかに「お子さま向け」のテイストがあったにしても、こんな小馬鹿にしたような作品を提供するような真似はしなかった。みんな真摯に映画づくりをしていただろう。旧シリーズはきちんと「まっとうな作り手」が映画を手がけていたのだ。

更にギドラ本来の伝統的設定さえもあっさりと歪曲させてしまった。これだけでも彼らがどれほどゴジラ愛が無いかがわかるだろう。
「ゴジラ」という世界では、キングギドラはぜったいに宇宙怪獣でなければいけないのだ。それはバットマンでブルース・ウエインが目の前で両親が殺されたのや、スーパーマンがクリプトン星から来た孤児と同じくらい不変でなければならないものだ。
いや、キングギドラだけではない。この作品は、それまでのすべてのゴジラシリーズの培ってきた設定をすべて否定してしまった。本作で破壊したのは都市や街ではなく、ゴジラの世界そのものだった。
この「ゴジラVSキングギドラ」が決定的なターニング・ポイントとなり、平成ゴジラは迷走を始める。

あえてあらすじも記す気にもならないが、この苦言をこの作品を観たひとなら分かっていただけるだろう。

たしかにゴジラシリーズといえばドル箱のコンテンツ、作れば金のなる木のようなものだ。だが、作ればなんだっていいというものではない。製作者たちは、本作で怪獣映画を単なる薄っぺらなモンキービジネスに貶めてしまった。曲がりなりにも伝統のある日本のお家芸、特撮映画・ゴジラで、である。いくら街を破壊しても、誇りという牙を失った怪獣は哀しい。ゴジラ俳優・薩摩剣八郎のムーヴも虚しく見えてくる。

キングギドラのデザインワークに先述の西川伸司、その中で演じるのはこれも"ゴジラ大好き漫画家"破裏拳竜。直撃世代のゴジラ信奉者たちは、すぐ足元まで届いてきていたのだが…

平成ゴジラは、時代の谷間に堕ちた皮肉だった。

怪獣映画がふたたび誇りを取り戻すのは「平成ガメラ」まで待たなくてはならなかった。

ゴジラVSキングギドラ
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大森一樹 中川安奈 豊原功補
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2006年9月 2日 (土)

レイザーバック

[1984年・監督/ラッセル・マルケイ■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

RAZORBACK劇場で映画というものを観るようになってから35年以上、おそらくは2000本を越えるであろうボクの観賞数の中でワースト1に輝く作品。

なにせ、生まれてはじめて観終わったあと「金返せ!!」と本気で思ってしまった。名画座の二本立てだったのに。それほどにヒドい映画なのだ。

監督は「ハイランダー」シリーズや「リコシェ」のラッセル・マルケイ。その第一回監督作品らしいのだが、正直ボクはこの一本でマルケイの監督としての資質を見限り「以後どんなことがあってもこいつの映画は観ない!!」と映画館を出るとき心に誓った。だから一切観てないし、他の作品の伝わってくる評判も予想したとおりだったので、第一印象はあながち的外れでもなかったのだろう。

とにかくこの映画、まったく面白くない。
たいていどんな映画にだってひとつやふたついいトコロくらいはあるもんだと思うし、そういうものを何とか見つけてどうにか溜飲を下げるのだけれど、そういった「よかったさがし」がぜんぜんできないくらいに無い。

ここで映画の詳細を知りたい方はここを参照してもらいたいが、「レイザーバック」についてたいへんに参考になるサイトであったが残念ながら現在は閉鎖されてしまったようである。googleにキャッシュが残っていたので、それをリンクさせていただく。
(キャッシュなので消失してしまった場合はご容赦を)

参照リンク→気まぐれ映画の旅「レイザーバック」

ここをご覧になってもわかるとおり、この映画にまったく面白さが感じられないのがわかっていただけるだろう。
このサイトの筆者は「この映画の中で誰一人として感情移入できる登場人物がいない」と書いている。
そうなのだ。面白いとか感動したとかというのは、感情移入しなければ沸き起こることもない。つまらないのはあたりまえ。

だいたい「感情移入すべき主体」は物語の主人公であるべきである。なのに、その主人公が観客が感情移入する前にどんどん殺され次に変わっていってしまう。しかも、次の主人公はその前の人物から何も引き継ぐことがない。

観ている側はそのたびにリセット状態となり、再び人間関係を繰り直す作業をしなければならない。

あえてあらすじを踏まえつつ書こう。
かんじんの「レイザーバック」も、けっきょくただの大きなイノシシ。このあたりの「幽霊の正体見たり」的萎み具合は、まぁB級ショッカー映画のお約束かもしれないから許そう。
だが、この大イノシシ、べつに次々人を襲うわけでもない。第一の女主人公が死んで(イノシシというより謀られた人間に殺される)から引き継がれた老人の主人公のパートは、ようやくヘミングウェイ「老人と海」的関係でこの大イノシシとの闘いが描かれる…と思いきや、この老人もあっさりと死んでしまう。そんないきさつも露知らずに登場するのは、最初の女性の夫である第三の主人公。彼は行方不明になった妻を捜しにやってくる…ここでまたイノシシとは無関係なストーリーが進んでいく。

いったい、この「レイザーバック」という大イノシシ、この映画とどういう関係?? とクビを傾げてしまう。はたしてこの映画が語りたいのは、イノシシなのか、それとも行方不明になった妻の行方なのか?

と、悩みながら観続けているうちに、最期の最期でようやくお座なりにその夫とレイザーバックの闘いがクライマックスにやってくる…

エンドクレジットを眺めながら僕は思った。

「この時間と金を返せ!!」と…

観賞後これほどの憤りを覚えたのはこの一本きりである。

だが…観てから20年が過ぎ、ときどきこの映画のことをふと思い出し、こう考えるのだ。

…たぶんラッセル・マルケイというヒトは、人間がキライなんだろうな…

レイザーバック
ビデオ レイザーバック(画像はLD版ジャケット)
ハル・マッケルロイ ラッセル・マルケー ピーター・ブレナン

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2006年9月 1日 (金)

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間

[1969年・監督/石井輝男■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

予告編映像リンク間違いなく、日本映画において空前絶後、史上最強のモンド・ムービー。
この作品を一度でも観賞したことのある者なら、その称号を与うるに一片の異論も無いだろう。

いろいろな理由があってソフト化そのものが困難な作品であり、いまだ国内でDVDはおろか、ビデオ化もされていない。(追記:2007年米国でついにDVD化)
だが、それはこの映画にとって決して悲劇ではない。

本作の真の魅力は、映画館という空間でしか堪能することができない。だから映画館へ足を運ぶもの達だけがこの作品の面白さを知っている。選ばれし者のみの味わえる特権の恍惚と快楽である。

殊に今ほど情報の得られぬ時代、本作の面白さは口コミでのみ評判が伝わり、映画ファンの間では噂だった。
ボクも本作については『どうやら奇天烈(キテレツ)な映画らしい』という、どこからかの話を耳にして観に行った。結果、創造を遥かに超えたモノであったのだが。

近年「カルトムービー」という言葉がやたらと軽く使われ嘆かわしいかぎりだが、真のカルトムービーとはこの「奇形人間」のような一本のことを言うのだ。観れば実感、納得する。
観たその日その時から、あなたの人生にはこの「恐怖奇形人間」が纏わりついて離れなくなるだろう。まさにそれが「カルト」=崇拝ということなのだ。

未見のかたは、なるべくなら情報は仕入れずに劇場へ足を運んでほしい。


[以下、どうしてもネタバレを含む内容になりますので注意。内容を知りたくない方は下の区切りまで飛ばしてください]

江戸川乱歩の原作を、原型をほぼ留めないほどに解体しキッチュにリミックスしてしまった石井監督の大胆豪快さ。暗黒舞踏なムーブで「ドクター・モローの島」と似て非なるフリークスの島を創造しようとリブ・フリーキーな土方巽。どう考えてもつじつまの合わぬ展開。行き当たりばったりな登場人物たち。

すべてが畸形的世界だ。

だが、矢継ぎ早に繰り出される毒と毒が混ぜ合わされ、画面からは次第にトランス感が漂ってくる。
これはアシッド・ムービーだ。考えてはいけない。感じるんだ!!

館内の観客たちは、次第に目の前で起こっていることに脳内を冒され、ドーパミンが分泌され幸福感が支配し始める。場内の空気は、何かのきっかけで爆発寸前の状況になっていく。

そしてとうとう明智小五郎の「タマは抜いといたよ」のセリフが引き金となって場内の気持ちが一気に巨きな渦となって同化し、ついにはラストの「おか~さ~ん!!」の絶叫では観客全員の感情の高揚が怒涛の最高潮に到達する。


かつて「少林サッカー」で終劇時に場内から自然と拍手が沸き起こることがあったが、高揚感という点で観ているものたちがここまで一体となって堪能する映画はこの「奇形人間」の他に類がない。

同様の一体感を体感できるものとすれば、「ロッキーホラーショー」が上げられるだろう。米国のレイトショーで観客参加型の独特の形態で上映され、一部のコアなファンから絶大な支持を得ている「ロッキーホラーショー」だが、
(映画「フェーム」でその観方が確認できる)
「恐怖奇形人間」はまさに日本の「ロッキーホラーショー」だろう。
途中中だるみ感のある「ロッキー…」比べれば、観客に与えるアッパー感は「恐怖…」のほうが遥かに凌いでいる、とは思うが。

だが、こうして記述を試みてはいても、いくら言葉を紡いでも本作の魅力は語ることはできない。やはりその目で確かめ、実感するしかないだろう。そして、あなたもこの映画の語り部となって布教に励むのだ!!

「恐怖奇形人間」は、ライブで観賞してこそ200%オモシロさを味わうことのできる映画である。

みんな映画館へ行け! そして観るのだ!!!

[関連記事リンク]クズビデオ49日

<たのみこむ>で『恐怖奇形人間』のDVD化をたのみこもう!!

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