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2006年9月28日 (木)

フィッツカラルド

[1982年・監督/ヴェルナー・ヘルツォーク■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★ 思い入れ度★★★★★]

ひと口にトンデモと言うが、トンデモ映画には「いいトンデモ映画」と「わるいトンデモ映画」がある。この「フィッツカラルド」は前者である。

船頭多くして、ではなく「船頭フィッツカラルドにして」船が山を越える映画。

凄いのは、これが特撮ではなく、本当に船を山越えさせたのだ。しかも人力で。

これはもはやドキュメンタリーだ。

物語の当初は、ちょっとイカれた主人公・フィッツカラルドのちょっと無茶な夢の実現のために奔走する姿を追っている。だが、その実現の手段としてトンでもないことを思いついた瞬間から、映画はこの男の夢想に引きずられていく。

アマゾンの奥地で、現地のインディオたちを騙し使って船を山越えさせようというのだ。

このあたりから映画そのものも妙に狂気じみてくる。ナンだかよく分からないオーラがスクリーンから発せられてくる。
いつしか物語の中のフィッツカラルド自身の「船で何をするのか」という目的も、もっと外枠にある映画を撮るという目的さえもどこかに放り投げられ、ただひたすらに「船を人力だけで山越えさせる」ということが総てとなっていく。

船を運ぶのはあくまで手段であったはずだ。だがその手段であったものが目的そのものにすり替わってしまったのだ。

先に「船頭フィッツカラルドにして」と書いたが、ここでの本当の船頭はヘルツォーク監督自身だ。実際に船を運ぶにあたり、劇中と同じく現地のインディオたちに作業をさせたと聞く。こうして、どこまでが劇でどこからが事実なのかがあいまいになってくる。

これは映画が映画としての枠組みを超越した「何か」を掴んだ瞬間である。

劇中のフィッツカラルドの夢と、監督・ヘルツォークの夢が融合合致し、実現する過程をフィルムは捉えたのだ。それも、極めて近視眼的に。
これは比類なき映画なのだ。

男とは挑戦する生き物である。それに挑み、フィッツカラルドはより困難なものに打ち克ったのだ。そんな「男の映画」として観てもこの作品は優れた存在の光を放つ。
そんな、なんだかよくわからない熱気に観ている側は圧倒させられながら映画は終局へと突き進んでいく。その結末は当初フィッツカラルドの夢想していたものとは違うものだが、もはやそれを誰一人として咎めたりはしないだろう。

我々観客は見たのだ。ひとりの男、フィッツカラルド=ヘルツォークのあまりにも無謀な挑戦と、その困難を克服した充足を。

映画のフィルムというものが、映像だけではなくそこにあった熱気や狂気などの形の無い存在までも映し撮ってしまうものだというのを見せ付けてくれる一作。決してキレイな、バランスのいい作品ではない。むしろイビツだが、これは大傑作だとボクは思っている。

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