2007年2月25日 (日)

幽閉者<テロリスト>

[2007年・監督/足立正生■おすすめ度★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★★]

日本赤軍と行動を共にした足立正生が「おつとめ」を終えた後、最初に撮った作品。
じっさいたいへんな経験を積んできたこの監督が、いったいどんな物を作るのか、という興味があったのだが、果たして期待どおりであった。

これは、とんでもない低予算で作られた、足立正生の自主映画だ。

足立監督にとって映画とは、観客を楽しませるエンタテインメントなぞではなく、自らの思想を語る手段に過ぎないのだろう。そういう映画表現もあっても別にいい、と思う。
彼は『映画を撮ること』こそが革命を目指す運動なのだろう。

稚拙な浅い考えの文だとはわかっているけれど、あくまでも個人的な見解をあえて書くが、正直な話、『今更世界同時革命??』という感は否めない。
世界---いや、少なくともこの日本という國では、革命などという言語は滅びてしまった。
一億総中流化のとおり、生活にたいして不満を持たなければ現体制に反発もする必要は無いからだ。
日本政府は戦後60年をかけ、そうやって従順な國民を飼育してきた。
それを、今更『悪いこと』とは言い切れない。それを甘んじて享受している自分のような市民にとっては、そんな立場なのではないだろうか。
『特に不満の無い暮らし』を与えてくれるものこそが『正しい政府』なのだ。

ここで描かれている怒り・思想は、いまだに70年どころか、60年代さえも終えられていないだけなのではないだろうか。そして、主人公の抱える願望は、あくまでも青臭いナルシシズムに過ぎないのではないのか。
少なくとも、80年代を通過してきた目からは、この考えはシニカルに斜見してしまう。

オウムで再び突きつけられた疑問だが、『革命実現のためには、市民の犠牲はやむなし』とは、はたして正義なのか。それは、ただ己の狭い理想の世界を築くためだけであり、より多くの人々がそれを望んでいないとしても?
この映画は足立監督の心象風景を表わしたものだろうけど、たとえばきっかけになった事件の犠牲者に対しての感情が決定的に欠如している。あえて自覚的にそうなのかもしれないが、そこにいまだ革命思想にしがみつく監督のアイデンティティーが垣間見えないだろうか?

いかにその革命の思想が気高いものであっても、「笛吹けど誰も踊らず」なのだ。
実は足立監督は、それをもう悟っているのかもしれないけれど。

けれどそんな思想啓蒙映画も、主演の田口トモロヲのM男っぷりのほうがあまりにも強烈過ぎて、監督の伝えたかった思想なぞつい吹き飛んでしまう。
田口トモロヲは当代随一のマゾ俳優だと密かに思っているのだけれど、流石は「鉄男」以来ひたすら縛られ殴られハイヒールで踏みつけられ続けてきただけのことはある。僕は映画館で思わず『トモロヲさん、あんたヤり過ぎだよ』と心で呟いてしまった。
たぶん一般的にはNHK「プロジェクトX」でのナレーションの印象が強いのだろうけれど、実際のトモロヲさんって『ばちかぶり』というパンクバンドを率いていたりしたとってもアナーキーなお方。

テロリスト足立も、今回はパンキッシュなアナーキスト・田口トモロヲには一敗、土をつけられてしまった…これは、そんな一本かもしれない。

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2006年10月20日 (金)

ゆきゆきて、神軍

[1987年・監督/原一男■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★]

これは事実である!!

と、梶原一騎でなくとも断言できる、凄まじいとしか言いようの無い映画。

現代の日本にも思想犯がいた。それが奥崎謙三だ。

昭和天皇にパチンコを向け、天皇のアイコラポルノビラを撒いた男。人一人殺してもいるが、彼にとってはドストエフスキーの『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフのように「正しい行動」だった。だから反省はしていない。

奥崎はスクリーンの枠さえ飛び出さんかぎりに疾走する。その姿は強引に泥田に分け入っていくダンプカーのようだ。Wikipediaでの奥崎謙三の略歴を眺めただけでもクラクラするほどだ。明らかに、我々の一般常識とは相容れない人物。

そんなワン・アンド・オンリーな男を追った、原一男の大傑作ドキュメンタリー。

本編と共に監督の原一男が綴ったライナーノート(初公開時にはこれがパンフレットとして劇場内で販売していた)があるので、それを併読しながらの観賞を薦めたい。

尚、この映画について極めて詳細な内容を記したサイトを見つけたのでリンクさせていただきます。

[関連サイトリンク]

かなり映画の中身を細かく記述しているので、それをあまり好まない方はご注意を。もちろんオチも明記されてますので。
…って、ドキュメンタリーなんだから『オチ』ってのはないですね。

よく云われていることだが、奥崎はこの映画によってますます「奥崎謙三」としての自分を肥大化し、演じ続けるようになったようだ。
『観られる』『記録される』というのはそれほどに魅惑的なのだ。
奥崎は日本や社会というものを舞台に見立て、「奥崎謙三」という役を演じることに意義を見出した。その熱病にも似たものは映画の撮影が終わっても醒めることがなく、暴走を続けることになる。

ついに映画の枠そのものを飛び越え、奥崎こそが、「ブレーキの壊れたダンプカー」そのものになってしまったのだ。その瞬間から、本作は極めて稀有な『予告された殺人の記録』という役回りを担わされてしまうことにもなる。いや、実際の殺人そのものはしていないが。

我々がこの映画で突きつけられるのは、その、人が人以上のものになろうと豹変していく過程だったのかもしれない。

もの凄いパワー溢れる映画だと思う。もし、これが「映画」と読んでいいのなら。
この作品は「映画」というカテゴリーにはとうてい収まりきらぬほどパワフルな"何か"なのだ。

実を云うとボク自身も、この作品のレビューを書こうにもどうにも書けず、ここにアップするのに1ヶ月を費やしてしまった。「ゆきゆきて、進軍」の前では、完全に思考停止状態に陥らされてしまう。今だってまだまだ不充分とは感じているのだが、もはや言葉を紡いだところでこの圧倒的な迫力には及ぶべくもない。
これはボクの敗北宣言だ。

その証拠と言っていいか、これを観終わったあとものすごく疲れる。放心状態になり、しばらくは何も手につかない。その虚脱感は数日抜けないくらいだ。
まるでこのフィルムを媒介に、奥崎謙三が観客から精気を吸い取り自らのエネルギーにしているかのように感じるのはボクだけだろうか。

そんな奥崎も2005年鬼籍に入った。

この吸い取られた莫大なエネルギーはいったいどこへ行くのだろうか。
ふと、思う。

ゆきゆきて、神軍
ゆきゆきて、神軍

原一男 奥崎謙三
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2006年9月28日 (木)

スパイ・ゲーム

[2001年・監督/トニー・スコット■おすすめ度★ 観ておくべき度★ 思い入れ度★]

これを、
「男同士の熱い友情を描いた感動作」
だと思ってはいけない。

トンでもない人権軽視・人種差別的作品なのだ。

たったひとりの、しかも命令無視して勝手に行動した米国人を助けるために、いったい何人の中国人を殺していいというのか。
しかもその救出作戦さえも違法行為なのに、だ。

本作のテーマは、

「アメリカ人を救うためなら、シナ野郎は皆殺しだぜ!!」

である。(一部差別的表現を含むことをお詫びします)

これをみてもわかるとおり、監督トニー・スコットの描く作品はことごとくどこかモラリティーの欠如したものがほとんどである。
だが、彼のテンポのいいスピーディな演出で観るほうはつい感情が流されていき、なかなかその陰にある本質は判断できないのだが。

これとまったく同じ骨子でじつは同監督の「ドミノ」も作られている。たった一人の女の子を救うためには、違法な強盗や傷害を起こしてもノー・プロブレムだぜ!! なのだ。

これがトニー・スコットの考える正義なのだ。

たとえば批評眼があるマーティン・スコセッシあたりならこんな内容でも「タクシードライバー」になったり、ローランド・エメリッヒならブラック感たっぷりに「インデペンデンス・デイ」になったりするのだが…

思い起こせば出世作「トップガン」も敵対するソ連戦闘機のパイロットの顔は見えない。対面にあるものが同じ血の流れた生身の人間である、ということは常に隠蔽されてしまう。

じつのところ、これこそが一般米国人のマジョリティでもある。トニー・スコットはその、身内の米国人以外は人間扱いをしないという無意識なパクス・アメリカーナの裏に潜む平均的考えを代言しているに過ぎない。おそらく監督本人も自覚が無いであろう。

同じ頃に兄・リドリー・スコットがやっぱり「アメリカ軍人を助けるためなら、黒人野郎は皆殺しだぜ!!」という映画「ブラックホーク・ダウン」を作ったのも、なにやら兄弟の因縁を感じたりもするのだが。

だが、これがハリウッド映画となってその思想をグローバル化していく過程は安直に受容する前に少し診断してみたほうがいい。それには自ら批評する眼が必要だろう。

トニー作品は、つい感動する前に、半歩下がって一考したほうがいいよ。

スパイ・ゲーム
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トニー・スコット ロバート・レッドフォード ブラッド・ピット
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フィッツカラルド

[1982年・監督/ヴェルナー・ヘルツォーク■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★ 思い入れ度★★★★★]

ひと口にトンデモと言うが、トンデモ映画には「いいトンデモ映画」と「わるいトンデモ映画」がある。この「フィッツカラルド」は前者である。

船頭多くして、ではなく「船頭フィッツカラルドにして」船が山を越える映画。

凄いのは、これが特撮ではなく、本当に船を山越えさせたのだ。しかも人力で。

これはもはやドキュメンタリーだ。

物語の当初は、ちょっとイカれた主人公・フィッツカラルドのちょっと無茶な夢の実現のために奔走する姿を追っている。だが、その実現の手段としてトンでもないことを思いついた瞬間から、映画はこの男の夢想に引きずられていく。

アマゾンの奥地で、現地のインディオたちを騙し使って船を山越えさせようというのだ。

このあたりから映画そのものも妙に狂気じみてくる。ナンだかよく分からないオーラがスクリーンから発せられてくる。
いつしか物語の中のフィッツカラルド自身の「船で何をするのか」という目的も、もっと外枠にある映画を撮るという目的さえもどこかに放り投げられ、ただひたすらに「船を人力だけで山越えさせる」ということが総てとなっていく。

船を運ぶのはあくまで手段であったはずだ。だがその手段であったものが目的そのものにすり替わってしまったのだ。

先に「船頭フィッツカラルドにして」と書いたが、ここでの本当の船頭はヘルツォーク監督自身だ。実際に船を運ぶにあたり、劇中と同じく現地のインディオたちに作業をさせたと聞く。こうして、どこまでが劇でどこからが事実なのかがあいまいになってくる。

これは映画が映画としての枠組みを超越した「何か」を掴んだ瞬間である。

劇中のフィッツカラルドの夢と、監督・ヘルツォークの夢が融合合致し、実現する過程をフィルムは捉えたのだ。それも、極めて近視眼的に。
これは比類なき映画なのだ。

男とは挑戦する生き物である。それに挑み、フィッツカラルドはより困難なものに打ち克ったのだ。そんな「男の映画」として観てもこの作品は優れた存在の光を放つ。
そんな、なんだかよくわからない熱気に観ている側は圧倒させられながら映画は終局へと突き進んでいく。その結末は当初フィッツカラルドの夢想していたものとは違うものだが、もはやそれを誰一人として咎めたりはしないだろう。

我々観客は見たのだ。ひとりの男、フィッツカラルド=ヘルツォークのあまりにも無謀な挑戦と、その困難を克服した充足を。

映画のフィルムというものが、映像だけではなくそこにあった熱気や狂気などの形の無い存在までも映し撮ってしまうものだというのを見せ付けてくれる一作。決してキレイな、バランスのいい作品ではない。むしろイビツだが、これは大傑作だとボクは思っている。

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ドラゴンヘッド

[2003年・監督/飯田譲治■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

ウォーターボーイズ主役対決!!「NIGHT HEAD」の、というよりも「バトルヒーター」の、あの飯田譲治が監督ということで当初からかなり不安があった。
まぁ、「NIGHT HEAD」にせよ同じくTVからの連動の「アナザへヴン」にせよ、導入はハデに思わせぶりな大風呂敷を広げても結局広げた謎やらナンやらはまとめられないまま終わってしまうのが飯田譲治という人のつくるモノの特性みたいなモンだから、きっとこの「ドラゴンヘッド」も…とか思って期待はしていなかったのだが。

果たして、あまりにも思ったとおりな状況だったのでかえって驚いてしまった。

尻切れトンボじゃん。

…って原作があるだろ? これ。いったい原作はどこに追いやってしまったのかしらん??
ボクは原作を読んではいないが、たぶんこんな薄っぺらな内容ではないのだろうナ、くらいは想像できる。

キャッチーなモノで客を釣るのはべつに否定はしない。だが、提示した謎には答えを与えねばそれは不親切というものだろう。作り手には答える責任がある。飯田監督はそこが決定的に欠けている。

映画監督は興行師では無い。

客さえ入ればいいってもんでもないのだ。
もしそれに徹し続けるのなら、ボクは以後もう飯田の作品は観ることを辞める。

演者についても、藤木直人は意外な面を見せてくれるものの、SAYAKAはただピーピー泣き叫ぶ一本調子のままで、せっかくのオンナのコも画面に出てる意味がない。観ながら、キャラにもうちょっと主体性を持たせろよ…とか考えてしまった。
この映画の中では、主役の誰一人としてラストショットまで成長が無い。殊にSAYAKAの役はヒドい。これでは演じた彼女も可哀相というものだ。

脚本をつくるときの基本は「登場人物の成長物語=ビルドゥングスロマン 【Bildungsroman(独)】」である。そんなモノはシナリオ学校の初歩で教わることだろう。ハリウッド映画がスゴいのは、どんな映画の中でもこの要素が巧みに織り込まれていることにある。

だから多くの観客の支持を得るのだ。

成長のない人間達を見せられて、いったい何の感動があるというのか。少なくとも、自分はそんなモノを知らない。あるのならボクにメールで教えてほしい。

通常、こういったタイプのストーリーにおいては主人公は「世界を救う」か「世界の謎を解く」役割を担うものだ。そうでなければ作品として意味が無い。だが、ここで妻夫木は何もせず、ただ翻弄されているだけである。何も能動性の無い主役のドラマなぞ観ていて退屈なだけだ。

唯一の見どころといえば冒頭の脱線した新幹線のシーンのみ。せっかく作った渋谷駅周辺を再現した巨大な廃墟のセットも、もの凄く撮り方が悪いためにまったく活かされていない。
(映画を観た人の中にはここで『え? シブヤなんて出てたっけ?』とか思った者もいたのではないだろうか。それほど活かされてない。)

ボクがこれを観たのは9月1日…ちょうど『防災の日』だった。
そのシチュエィションに「ああ、この映画って単なるそーゆうパブリシティなのかな?」とか勝手に妙に納得して家路についた。
これほどの大作で心に何にも湧いてこない映画もめずらしい。

しょーがないよネ、中身も無けりゃオチも無かったんだから。

ドラゴンヘッド
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望月峯太郎 飯田譲治 妻夫木聡
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2006年9月27日 (水)

バンジージャンプする

[2001年・監督/キム・デスン■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★★]

バンジージャンプをする (韓国版) あのね。

この映画、宣伝されてたのとぜんっぜん内容がちがうんだ。

中身を知っちゃうとつまんなくなっちゃうから、あえてストーリーについては触れないけど、
とにかくあの「いかにも韓流純愛路線」みたいなイメージでこの映画を観ちゃうと目が点になっちゃうよ。

いや、恋愛映画は恋愛映画です。たしか。たぶん、そうだったはず。純愛です。ピュア・ラブです。
でも…なンか違うんだよ。

あ~言えないのがもどかしい。

イ・ウンジュさんはすっごくキレイです。早逝したの、ホントにもったいない。個人的には「クムジャさん」やTV「チャングム」のイ・ヨンエよりもずっと好みだった。たぶん別掲でいずれ書くけど、「永遠の片想い」での複雑な感情の表現は素晴しかった。繊細な演技のできる女優さんだった。
それはこの「バンジージャンプする」でも垣間見ることができる。決してベストテイクではないけれど。

本作の主役はあくまでもイ・ビョンホン。

はっきり行って、彼がこれほど上手いとはこの作品で初めて思い知らされた。包容力のある表現。この人がこんな演技ができるなんて、と驚かされた。ボクが今までに見たビョンホンの中では、この映画の演技がベストだ。

…ただ、内容がなぁ…

いや、いちおう「トンデモ」に振り分けましたが、これが受け容れられるのなら、ぜんぜんフツウに観てもいいんですよ、この映画は。でもイキナリ展開がトンでもない方向に転換するんで口アングリ状態になっちゃうだけで。

いい映画はいい映画なンですよ…たぶん。

ここで既に観て知ってる方に提案です。
まだ観ていないヒトにはぜったいに中身を知らせないで観せましょう。
そのほうがおもしろいっしょ?

ヒントは、「これって、イ・ビョンホンの『高校教師』だったんだ…」ということで。

観たヒトなら…わかりますね?? この意味が。
てコトで。

…ぜったいに中身はナイショだよ。

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2006年9月26日 (火)

8マン すべての寂しい夜のために

[1992年・監督/堀内安博■おすすめ度なし 観ておくべき度★ 思い入れ度なし]

これが伝説の実写版8マンの勇姿だ!! 色違いの頬は父・宍戸錠へのリスペクトか!?もはや最低映画として「観ておくべき」一本。評価の★はそのため。

東京ドームでの"ワールド・プレミア"の壇上にて出演の宍戸錠がこう言った。

「これまで何百本と映画に出てきたが、こんなゲンバは初めてだった」

これをあえてお披露目の席で口に出さざるを得ないほど、エースのジョーの心中には含む一物があったのだろう。宍戸開との初の父子共演なのに、である。

監督・堀内靖博、脚本・宮崎満教、鈴木淳子。脚本の宮崎は企画と製作総指揮も担当している。
ところが、この3人、検索にかけてもこの「8マン」以外ではこれ以前も以後も映画制作にまったく携わっていない。本作から15年近くを経るのに、である。

つまり、この映画は映画の素人の集団がつくったシロモノだったのだ。

<追記:その後ロマポ太郎さんにより、監督の経歴をご指摘いただきました。こちらのサイトに関わった映画リストがあります。以上訂正させていただきます。>

もともとこれを製作したリム出版という会社は、社長だかオーナーが大の8マン好きで、コミック版8マンの復刻再販にも力を入れていた。原作者の不幸な逮捕により当時発行できなくなっていた最終話を世に初めてリリースし、ようやく完結させたという大功労は高く評価していいと思う。
が、それに乗じて製作したこの映画は、いったい何のためにつくったのか分からないほどお粗末なものになってしまった。

まず何よりも、当の8マンの造型がヒドい。ヒドすぎる。画像を見つけたから貼っておくが(情報提供:キッド氏)これが動いている映像はもっと悲しいくらい貧相だ。いったいこの造型にOKを出したのは誰だ!? と思いたくなる。
そもそも原作を見ても分かるとおり、8マンには表情がある。つまり生身の人間の顔のイメージが一般的にはある筈である。なのに、本作ではウルトラマンのようなフルフェイスのマスクにされた。そのために頭身が大きく、不恰好になってしまっている。オマケに出来そのものも表面のモコモコが目立っていてチープ。あの当時の造型技術なら、ハーフマスクでも充分カッコいいモノができたはずだ。

特撮も…8マンと云えばアニメでも知られたあの「走り」だが、どうにも滑稽に見えてしようが無い。オプチカル処理をして残像がある、という表現は、ボク個人としては「まァ、いっかな」とも思うのだけれど。

いろいろと多々問題のある本作だが、この作品の語り継がれる理由は、そのたった一度の「東京ドームでの上映」にあった。

たしか、入場料は6000~6500円くらいでチケットを売っていたと思うのだが、ボクはタダで行った。べつにボクが出版関係者だったからとかでは全然ない。
イベントの一週間くらい前から、都内の書店などでこのイベントのタダ券が置かれ、配布されるようになったのだ。ボクはたしか池袋の西武あたりの本屋でこのタダ券をゲットした。山のように置いてあったのを覚えている。

いったい本当に6000円もの大金を払って行った者なぞいたのだろうか? と訝しんでしまうが、これが実際いたことも確かだから始末に負えない。その人達はもの凄く不幸な星の下に生まれたのだと思って諦めるほかない。
ここからも分かるとおり、チケットは思いっきり売れなかったのだろう。
だが、その結果ちゃんと金を払った客はスタンド席なのに、たまたま招待タダ券を入手したものがアリーナ席に座る…という捩れ状態も生み出してしまった。このあたりからもこの企画のコケ加減が推し量れようというものだ。

その上、イベントそのものも計画図と比べあまりにも貧相な出来だった。大仰なセットや大花火、レーザーカクテルでの演出…となっていたハズが、フタを開けてみればぽつねんと大スクリーンが鎮座してるだけ。花火も数発上げられただけで終わってしまった。
冒頭の宍戸錠のボヤきも当然だと納得できるイベントだった。

まさに「社運を賭けて」の映画「8マン」だったが、これが大コケしてリムは倒産、本当に社運が尽きてしまった。

当時、友人の西崎まりのがこのリム出版で小説の挿絵の仕事をしていたため多少はリアルタイムでいろんな情報はボクの耳に入ってきていたため、8マン→倒産への一部始終は観察するように見させてもらった。この業界でボクも既に20年近く飯を喰っているが、このリム出版ほど見事なツブれ方はなかった。もはや天晴れ、である。

こうしてリム出版は8マンと共に沈んだ。もともとが8マンのために興した会社だったので、オーナーとしては本望だったろう。多くの関係者に迷惑をかけたという事実に目を瞑れば、それはそれで一本筋が通っていた

ただ、ボクとして残念だったのは、当時映画との連動企画として製作された「右曲がりのダンディー」の末松正博氏描く新作コミック「エイトマン」が、この騒動のお蔭で結局未完のままになってしまったということ。この漫画はハイコントラストを基調に、スタイリッシュなフィルム・ノワール調の絵づくりでかなりカッコいい作品に仕上がっていたのだが…

結局、原本の「8マン」は完結させたが、変わりに新しい「エイトマン」を未完にさせてしまった、というのは、リム出版も罪つくりではある…

[関連リンク]

エイトマン 末松正博版
…名作っ!!
平井 和正 桑田 二郎 末松 正博
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宇宙貨物船レムナント6

[1996年・監督/万田邦敏■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

レムナント6おそらく、この作品を撮ったひとは、映画の撮り方を知らないのではないだろうか。

そう思えるほど、この映画は悪い。
レベルが低い、というのではない。「わるい」のだ。

脚本上の台詞回しがそれほど悪いわけでもなかっただろう。無論脚本そのものに問題がまったく無いとは言い難いが、それ以上の問題はまさに「撮り方」、カメラワークにある。

映画を撮るものには絵コンテを描ける者とそうでない者がある。この監督はおそらく後者だろう。もし前者だったら、尚更問題だ。

どこかでこの監督が本作を撮影したときの意図について「あえてハデな絵や構図は押さえ、地味な絵作りを心がけた」といったようなことを話していたのを覚えている。

…そうじゃないだろ? と思う。

自論だが、殊にSF映画とは「絵づくり」である。

たとえばアオり、俯瞰、斜め構図、フィッシュアイ…様々なカメラアングルのテクニックを駆使し「おもしろい画」を提示するのがSF映画を作るものの努めというものだろう。
この監督は、そういった努力を放棄している。絵が圧倒的につまらないのだ。

特にこのお話はほぼ100%が貨物船の船内でドラマが進展し、主要な場所は狭い2,3のセットのみだ。船内に覗き窓も無く、外の宇宙空間とは断絶している。
つまり、「内」と「外」とはまったく接触や連続性が無い。
そんな設定では、ともすれば単に狭く、限定された室内でのみのドラマは、外の世界の無限大の広さとの連関は途絶し、観る側からは非常に退屈なただの室内セットドラマと化してしまう。

ボクはいわゆる「潜水艦もの」というジャンルが嫌いだが、その理由もここにある。
宇宙船ものというのは、じつは以外と撮り方・見せ方の難しいジャンルなのだ。

だから尚更カメラワークなどには細心の注意を向けなければ、面白くはならない。絵コンテをしっかりと練るほどでなければいけない。
それをあえて監督が放棄した時点で「レムナント6」は最初から失敗作を約束されたようなものであった。

あとは…この万田監督というひと、もの凄く音楽のセンスが悪い。選曲も、その使い方も。ボクは彼の他の作品も観たが、正直そこについては評価できない。
あくまでも個人的意見として、と断るが、ボクとしてはこの監督については評価は無し、である。その理由は、ボク自身の考える演出理論とまったく相容れない法則で映画を撮っているから…とだけ言うに止めておこう。
必要ならばレポート10枚でも20枚にでも渡って論じますケドね。

押井守が総合監修としてクレジットされている…が、本人のコメントではたしか「タイトルの『レムナント』って言葉を考えてあげただけ」だったかと思う。この言の裏に含ませた押井の見解を推して知るべし。

宇宙貨物船レムナント6(VHS VIDEO)
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特撮(映像)
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2006年9月24日 (日)

ガンヘッド

[1989年・監督/原田眞人■おすすめ度★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★]

B級くささムンムンボクの知人の小説家がこれを観て言った。

「だれか止めるヤツはいなかったのかよ…」

本作をたった一言で表現するなら『ぐだぐだ』である。全体がユルく、締まりが無い。

ハード面でのスタッフはいい。はっきりいってこれでもか、というくらいにいい。殊にガンヘッドの造型は河森正治。あのMACROSSの完全変形バルキリーを創造した天才である。

なのに、なぜそういった印象を抱いてしまうのか?

思うに最大の理由は、劇中全体の台詞回しにあるのではないだろうか。カッコいいように見えて、その実もの凄く薄っぺらでクサいのだ。聴いていてだんだんに白けてくる。キャラクターもまた薄っぺらだ。

想像の域だが、監督もつとめた脚本の原田眞人はアニメ畑(サンライズ)からの企画ということでケレン味をたっぷりと加えて描けばいいと考えたのではないだろうか。だが、原田の考えるそのケレン味は残念だが実写という媒体との相性があまり良くはなかった。
必要だったのは「アニメ的」であることではないし、原田の考える「アニメ」は、あまりにも古いイメージのままだったのだろう。
いや、ひょっとしたらクレジットではあくまで原田眞人だが、それ以外の多くの手が入ってしまってこんなコトになっているのかもしれない。
観ている側との意識のギャップは、こんなところにあったのではないだろうか。

企画そのものを吟味すれば、「ガンヘッド」の方向性は決して間違ってはいなかっただろう。もしすべてが上手く回っていれば日本の特撮映画のその後を方向づけるほどの意欲的な作品だったはずだ。

これは、多くの人の手を経ることにより、次第に先鋭さを削り取られ、結果やる気のない駄作となってしまうという日本映画の最悪の道を通ってできてしまった墓標なのだ。

我々は、この「ガンヘッド」の屍を乗り超えていかねばならない。

同じ頃に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開され、その完成度やアイデアの詰め方の凄さに、日米の差はますます広がることを思い知らされた------とは、先の同じ小説家の談。俗に「さよならジュピター、また来てゴジラ」と揶揄されたこの時代の日本特撮映画の現状だが、おそらくはこの「ガンヘッド」がとどのつまりとなってしまったのではないだろうか。
海外公開ではついにクレジットには
"Directed by ALAN SMITHY"
の文字まで刻まれることになる。ここまでくると、もう非難より同情してやりたくもなってくる。
(ちなみに日本の作品でアラン・スミシー監督作となったのは他に「クライシス2050」がある)

だが、今にして思えば、「ガンヘッド」のそのユルさ・薄っぺらさはもの凄くB級臭漂う芳しき香りで、改めて今観てみればそれはそれなりに楽しめるのかもしれない。

いつか再観賞をしてみたい作品ではある。

「ガンヘッド」についての参考サイト→Club"Bバンガーズ"

ガンヘッド
B000JRYN66
高嶋政宏 原田眞人 ブレンダ・バーキ


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ゴジラVSメカゴジラ

[1993年・監督/大河原孝夫■おすすめ度★★ 観ておくべき度★ 思い入れ度★]

ゴジラvsメカゴジラこの作品で前々作「VSキングギドラ」ですっかり歪みきった平成ゴジラシリーズの方向性が、修正不能な形に決定づけられてしまったという点において忘れ難き作品。「VSモスラ」で多少はナンとかなるかナ? とも思えたものの、これは平成ゴジラのもう戻れないフェイル・セーフを超えた一作だった。

それでも良いところを探してみれば…メカゴジラの造型は認める。賛否は当然あるだろう。ボク自身もかつてのゴツゴツしたメカゴジラのほうが実は好みだったりするのだが、それをなんとか現代風メカにアレンジしている、という意味でそれなりに評価はしたい。(丸顔なのだけはカンベンしてほしいが。)
そりゃいいハズで、デザインは「ゴジラ伝説」の西川伸司だ。メカゴジラについての思い入れ度といったらそりゃハンパじゃないだろう。

知らないヒトのために簡単に説明しておくが、「ゴジラ伝説」とは西川氏が同人誌で発表した、それこそ伝説的歴史的作品で、その作品中でも思い入れたっぷりに描かれているのがヘドラとこのメカゴジラ。やはり思い入れの深い人の造ったものには畏敬の念が自然と生じてしまう…って、結局は単に西川氏のファンなだけなんだろうな。
悪くいえば、どうしても漫画畑の西川デザインは、二次元には映えるのかもしれないが、それが立体になったとき必ずしもカッコいいものにはならない、ということにはなるのだが。

合体してスーパーメカゴジラになるなど、アニメ演出からの影響、というか苦し紛れ気味の設定も目に付くが、好みの問題かもしれない。正直ボクはあまりこの設定は是とは考えていないが、あの時代、怪獣映画をどうにか盛り上げようと頭をひねった結果なのには同感する。
ただ…やはりキングギドラと同じく、メカゴジラも自衛隊の兵器に貶めるのにはどうにも納得いかないのだが。

ストーリーについては…もはやキッズ・ムービーだと開き直った感が強く、安直な展開が目に余る。
中でも、いったん死んだゴジラがラドンの命を吸って復活する、などというクライマックスの展開など、ご都合主義を通り越していい加減もはなはだしい。もはや物語を投げているとしか思えない。怪獣のバトルを延々と人間に説明させる、という平成ゴジラの悪習もこの映画で全開する。
何度でも描くが、このようなナメたつくりが映画をダメにするのだ。作り手は常に真摯でなければならない。

物語中のメカギドラのサルベージと共に「VSキングギドラ」の悪夢的駄世界もまた引きずり出し、蘇らせてしまったのが本作だった。平成ゴジラは最後までこのダメダメな設定世界のまま続いていかざるを得なくなる。
これこそ、このシリーズの悲劇であった。

それでも本作はヒットした。思えばこれが以後の平成ゴジラを貶める一因となったのではないだろうか。どれほどゴミのような内容のコンテンツでも、パブリシティさえしっかりやっておけば客は入ってくるのだ、という法則に会社が気付いたのだ。

以後、ゴジラは単なるモンキービジネスの化身となり、日本列島のご当地を順繰りに暴れ廻されることになる。寅さんのように。

ゴジラ映画は、正月のコドモのお年玉を簒奪するただの集金システムとなる。

ゴジラvsメカゴジラ
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