2006年9月24日 (日)

ガンヘッド

[1989年・監督/原田眞人■おすすめ度★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★]

B級くささムンムンボクの知人の小説家がこれを観て言った。

「だれか止めるヤツはいなかったのかよ…」

本作をたった一言で表現するなら『ぐだぐだ』である。全体がユルく、締まりが無い。

ハード面でのスタッフはいい。はっきりいってこれでもか、というくらいにいい。殊にガンヘッドの造型は河森正治。あのMACROSSの完全変形バルキリーを創造した天才である。

なのに、なぜそういった印象を抱いてしまうのか?

思うに最大の理由は、劇中全体の台詞回しにあるのではないだろうか。カッコいいように見えて、その実もの凄く薄っぺらでクサいのだ。聴いていてだんだんに白けてくる。キャラクターもまた薄っぺらだ。

想像の域だが、監督もつとめた脚本の原田眞人はアニメ畑(サンライズ)からの企画ということでケレン味をたっぷりと加えて描けばいいと考えたのではないだろうか。だが、原田の考えるそのケレン味は残念だが実写という媒体との相性があまり良くはなかった。
必要だったのは「アニメ的」であることではないし、原田の考える「アニメ」は、あまりにも古いイメージのままだったのだろう。
いや、ひょっとしたらクレジットではあくまで原田眞人だが、それ以外の多くの手が入ってしまってこんなコトになっているのかもしれない。
観ている側との意識のギャップは、こんなところにあったのではないだろうか。

企画そのものを吟味すれば、「ガンヘッド」の方向性は決して間違ってはいなかっただろう。もしすべてが上手く回っていれば日本の特撮映画のその後を方向づけるほどの意欲的な作品だったはずだ。

これは、多くの人の手を経ることにより、次第に先鋭さを削り取られ、結果やる気のない駄作となってしまうという日本映画の最悪の道を通ってできてしまった墓標なのだ。

我々は、この「ガンヘッド」の屍を乗り超えていかねばならない。

同じ頃に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開され、その完成度やアイデアの詰め方の凄さに、日米の差はますます広がることを思い知らされた------とは、先の同じ小説家の談。俗に「さよならジュピター、また来てゴジラ」と揶揄されたこの時代の日本特撮映画の現状だが、おそらくはこの「ガンヘッド」がとどのつまりとなってしまったのではないだろうか。
海外公開ではついにクレジットには
"Directed by ALAN SMITHY"
の文字まで刻まれることになる。ここまでくると、もう非難より同情してやりたくもなってくる。
(ちなみに日本の作品でアラン・スミシー監督作となったのは他に「クライシス2050」がある)

だが、今にして思えば、「ガンヘッド」のそのユルさ・薄っぺらさはもの凄くB級臭漂う芳しき香りで、改めて今観てみればそれはそれなりに楽しめるのかもしれない。

いつか再観賞をしてみたい作品ではある。

「ガンヘッド」についての参考サイト→Club"Bバンガーズ"

ガンヘッド
B000JRYN66
高嶋政宏 原田眞人 ブレンダ・バーキ


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ゴジラVSメカゴジラ

[1993年・監督/大河原孝夫■おすすめ度★★ 観ておくべき度★ 思い入れ度★]

ゴジラvsメカゴジラこの作品で前々作「VSキングギドラ」ですっかり歪みきった平成ゴジラシリーズの方向性が、修正不能な形に決定づけられてしまったという点において忘れ難き作品。「VSモスラ」で多少はナンとかなるかナ? とも思えたものの、これは平成ゴジラのもう戻れないフェイル・セーフを超えた一作だった。

それでも良いところを探してみれば…メカゴジラの造型は認める。賛否は当然あるだろう。ボク自身もかつてのゴツゴツしたメカゴジラのほうが実は好みだったりするのだが、それをなんとか現代風メカにアレンジしている、という意味でそれなりに評価はしたい。(丸顔なのだけはカンベンしてほしいが。)
そりゃいいハズで、デザインは「ゴジラ伝説」の西川伸司だ。メカゴジラについての思い入れ度といったらそりゃハンパじゃないだろう。

知らないヒトのために簡単に説明しておくが、「ゴジラ伝説」とは西川氏が同人誌で発表した、それこそ伝説的歴史的作品で、その作品中でも思い入れたっぷりに描かれているのがヘドラとこのメカゴジラ。やはり思い入れの深い人の造ったものには畏敬の念が自然と生じてしまう…って、結局は単に西川氏のファンなだけなんだろうな。
悪くいえば、どうしても漫画畑の西川デザインは、二次元には映えるのかもしれないが、それが立体になったとき必ずしもカッコいいものにはならない、ということにはなるのだが。

合体してスーパーメカゴジラになるなど、アニメ演出からの影響、というか苦し紛れ気味の設定も目に付くが、好みの問題かもしれない。正直ボクはあまりこの設定は是とは考えていないが、あの時代、怪獣映画をどうにか盛り上げようと頭をひねった結果なのには同感する。
ただ…やはりキングギドラと同じく、メカゴジラも自衛隊の兵器に貶めるのにはどうにも納得いかないのだが。

ストーリーについては…もはやキッズ・ムービーだと開き直った感が強く、安直な展開が目に余る。
中でも、いったん死んだゴジラがラドンの命を吸って復活する、などというクライマックスの展開など、ご都合主義を通り越していい加減もはなはだしい。もはや物語を投げているとしか思えない。怪獣のバトルを延々と人間に説明させる、という平成ゴジラの悪習もこの映画で全開する。
何度でも描くが、このようなナメたつくりが映画をダメにするのだ。作り手は常に真摯でなければならない。

物語中のメカギドラのサルベージと共に「VSキングギドラ」の悪夢的駄世界もまた引きずり出し、蘇らせてしまったのが本作だった。平成ゴジラは最後までこのダメダメな設定世界のまま続いていかざるを得なくなる。
これこそ、このシリーズの悲劇であった。

それでも本作はヒットした。思えばこれが以後の平成ゴジラを貶める一因となったのではないだろうか。どれほどゴミのような内容のコンテンツでも、パブリシティさえしっかりやっておけば客は入ってくるのだ、という法則に会社が気付いたのだ。

以後、ゴジラは単なるモンキービジネスの化身となり、日本列島のご当地を順繰りに暴れ廻されることになる。寅さんのように。

ゴジラ映画は、正月のコドモのお年玉を簒奪するただの集金システムとなる。

ゴジラvsメカゴジラ
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大河原孝夫 高嶋政宏 佐野量子
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手塚昌明 横谷昌宏 金子昇
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ゴジラVSビオランテ

[1989年・監督/大森一樹■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★★]

ゴジラvsビオランテ だいたい「抗核バクテリア」ってナンじゃい??

ここでひとつ素人ながら私説を論じさせてもらうが、たとえば生物の新陳代謝・消化吸収なんてェものはモトを正せば化学的反応のはずだ。ヒトが塩分を摂取するとき、塩化カルシウムCaClと同質のKClを吸収してしまうように、よしんば放射性物質であろうとも同じ塩基系列のようなものであるなら吸収してしまうかもしれない。だがそれはあくまで化学的反応であり、分子内に含まれた放射性同位体そのものから発する放射能は変えられるはずがないのではないだろうか。
放射能を除去するにはその半減期を待つか、イスカンダル星から技師を招いてコスモクリーナーDを起動させなければ不可能だろう。

単なる化学的置換だけでは核の放射能は消去できない。

それでもよしんば百歩譲ってその抗核なんたらが発見されたとしよう。もしそれにより放射能除去が可能なら、ゴジラ殲滅よりも医者として原爆被害に苦しむ人々に応用すべきだ。
…まぁ、それは蛇足だが。

要するに、SFにおける科学考証というものは、こんな素人ごときに突っ込まれる程度の穴があってはいけない、ということだ。そういった映画界の作る側の甘さ・観客不在のナメた態度が日本映画をダメにした、とボクは思っている。

なに? ゴジラはSFじゃないって?

そのような甘い見解がいかんということがわからんかぁぁ!!!

…と、冒頭から苦言ばかりを述べてしまっているが、実はボク的にはこの「VSビオランテ」の評価はそれなりに高い。それは、ゴジラという極めて固定化されたイメージの世界に、何がしかの風穴を開けようと努力しているからだ。
あたかも、劇中の展望レストランの天井に残されているゴジラ襲撃の足跡の如く。

ビオランテというまったく異質な怪獣像。でありながら、怪獣ばかりに目が行くことなく、人間側のドラマもきちんと描かれている。一本の映画として、ちゃんと観賞に耐えうる出来になっている。東宝自衛隊もしっかりと闘いに参加し、日本の国益を守ってくれている。
平成ゴジラに対しては辛口ばかりを述べているが、こと「VSビオランテ」についてだけは別だ。
おそらくは「平成ガメラ」にも本作が影響を与えたであろう、というのはすでに定説だろう。

実を云うと、本作こそが1954年の第一作「ゴジラ」の最も正当な後継作なのではないのか。そうボクは考えている。
先述のこのレストランの足跡や、本編冒頭の地下道の描写、街のいたる場所に残されたゴジラの通った爪跡…これこそが、本来ゴジラという作品が持ちえていたディザスター映画のテイストだ。
そう、ゴジラ映画とは、怪獣ものである以前に、シリアスなディザスター映画でなければならない。昭和・平成・ミレニアムと何十作と作られたゴジラ映画だが、この「ディザスター」感を感じさせるのは初作と「VSビオランテ」くらいしか無いだろう。

本作は一般公募でストーリーを募集したが、あるウワサではこれは次点だった、とボクの耳には伝えられてきたことがある。トップ選考だったストーリーは、

出現したゴジラを自衛隊が北海道方面へ誘導、ゴジラを利用して北方四島を奪還する

という話だったとか…ボツになったのは「あまりにも内容が過激すぎる」ということだった、らしい。

もちろん、あくまでもただのマニア間での噂話・ヨタ話。単に「こんなのありそう」が伝わるうちに膨らんでいっただけなのだろうと思うので、もはや真偽のほどは不明、これはひとつの都市伝説となっているのだが…もしこれが本当で「ゴジラ2」がこのストーリーだったなら、なかなかに斬新で面白い作品となっただろう。
でも多少ブラックすぎるかも。

残念ながら本作は興行的には不成功に終わり、以後平成ゴジラは大きな舵取りをしていく。
それはゴジラそのものの迷走の始まりでもあった。

だが、ボクは改めて断言する。
この「VSビオランテ」こそ、ゴジラ映画の精神を正しく受け継いだ逸品である、と。

ついでながら、
心ひそかにボクはこの作品を「ゴジラVS沢口靖子」と呼んでいるのだが…

ゴジラvsビオランテ
B000063VTR
大森一樹 三田村邦彦 田中好子
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2006年9月23日 (土)

ゴジラVSデストロイア

[1995年・監督/大河原孝夫■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度★]

ゴジラvsデストロイア観終わって幕が降りたとき、ボクは思わず映画館の中心でこう叫んだ。(これは実話である!)

「やる気がないなら作るなぁ!!!!!」

ひどい作品だ。愛が無い。「フランケンシュタイン」ではないが、愛が無いなら造ってはいけないのだ。
こんなモノを乱造されるのなら、ゴジラも太平洋の底で静かに眠らせてあげておいて欲しい。

脚本もひどい。内容は言わずもがなだが、技法の点でも最低だ。
怪獣たちの闘いを、見ている人間たちがいちいち説明をする。ナンじやそりゃ? である。状況説明的セリフなど、シナリオ学校で減点になる基本だろう。
シナリオライティングという点で、やる気が無いとしか思えない。

そもそも脚本を担当した大森一樹は京都府立医科大学医学部卒というキャリアを持っているのだから、たとえばその専門知識を活用して生物学的なゴジラや怪獣像を創造しうる可能性があったはずだ。
ボクは大森一樹を全否定する気などさらさらない。「ヒポクラテスたち」は大傑作だと思っているし、好きな映画だ。だが、一連の、殊に「VSキングギドラ」以降の大森ゴジラに関しては首を傾げざるをえない。ゴジラを意味もなくアルティメットな無敵の存在にしてしまった罪は果てしなく重い。

本作ではゴジラがメルトダウンを起こすのだが…いったい、ゴジラの体内には核反応炉や高速増殖炉でもあるとでも言うのだろうか。自然界のウラン採掘場でも勝手にメルトダウンを起こすようなことはないだろう。少なくとも、ボクは今までそんなニュースを聞いた覚えはない。
この設定の上での「カドミウム弾」の使用は面白いとは思うが…

そもそも、ゴジラはビキニ核実験で放射能を浴びた古代生物だったはずだ。この「VSデストロイア」では特に初作を引き継いでいるので、それを遵守するならば、そんな体内に高濃度の放射性物質を抱えているわけではない、ということは創造の域なのだが。ゴジラはあくまでも放射能を浴びて変貌しただけであり、べつに放射能を栄養源としているわけではない。

それに伝家の宝刀「オキシジェンデストロイヤー」を持ち出してはきても、どうも免罪符的な感が否めない。デストロイアにしたって、どうして合体ができるというのか。医者が脚本家なら生命についての考察はしっかり考えてほしい。ここからも、怪獣映画というものをナメているのが明白だ。

もしボクが脚本を任されたなら、宝田明を第一作と同じ役で出す。平田昭彦演じた芹沢は劇中で殉職、志村喬も亡き現在、宝田だけが初代ゴジラを知る生き証人だからだ。宝田は「FINAL WARS」で復活するが、まったく別の役としての登場だった。ここはやはり同じ'尾形'として出すべきだったと思う。
それこそがゴジラ愛があるということではないだろうか。

加えてここが決定打だが、この作品のラストはゴジラ映画史上最低である。作り手がドラマを創造することを放棄した証しだ。こんなやる気のない結末を、それまで、耐えて、耐えて平成ゴジラを観続けてきたオールドゴジラファンに最後の最後になって突きつけるなど、愛がないにも甚だしい。このエンディングを観て自分は本文冒頭の言葉を叫ぶことになるのだが。
要するに平成ゴジラはゴジラやSFに何の愛もリスペクトも無い者達の産物だった、とこの瞬間にボクは思い知らされたのだった。

USA似非ゴジラを経、ミレニアムシリーズに至りゴジラは徐々に誇りをとり戻し、我々もようやく溜飲が下がっていくことになる。

ゴジラvsデストロイア
B000069KYA
大河原孝夫 辰巳琢郎 小高恵美
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2006年9月 5日 (火)

ゴジラVSキングギドラ

[1991年・監督/大森一樹■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度★]

ゴジラVSキングギドラこの映画をつくった連中は、SFというものをナメきっている。まったく不理解もはなはだしい。タイムパラドックスについての解釈もムチャクチャだし、サイボーグ(アンドロイドだったか?)の描写も身が凍るほど貧乏くさい。B級SF映画でも、こんな酷い表現のものはない。この一本を観て「もう平成ゴジラになにかを期待するのは辞めよう」と諦念を抱かせるのには充分な出来だった。

すべてのゴジラ映画の中でも最低の作品なのではないだろうか。

製作当時、ゴジラを観て育った世代は漫画やアニメなど様々な表現ジャンルに拡散し活躍を始めていた。本作でキングギドラの造型デザインに携わった西川伸司も、80年代初頭に同人誌「ゴジラ伝説」という、まさに伝説的な作品でコミケに名を馳せていた。

だが、悲しいかな、あくまでも年功序列を固持し続ける映画界というシステムは、そんな「ゴジラ愛」に満ちた若い才能を登用することができず、ゴジラには最も思い入れの乏しい世代に責任を託してしまった。

70年代に大学でいっしょうけんめい自主映画を撮っていた大森一樹のような監督が、熱烈に「東宝チャンピオンまつり」の旧・ゴジラシリーズを観に行っていたわけがないだろう。
彼を含む世代は、あくまでも彼らの「イメージとしてのゴジラ」をこの作品でフィルムに焼き付けたに過ぎない。「ゴジラ映画ってさ、こんなモンだろ?」という。本作の失敗はそこにある。本質を見つめることを怠り、先入観だけで製作された映画だった。

吉田拓郎も唄ったように、古い船を動かせるのは、古い水夫ではないのだ。

だからハナから「所詮ガキの観るモンだろ?」という、コドモだましのシャシンをつくればいいという甘い意図が見え見えである。
だが、子供たちだってそんなオトナの態度は敏感に受け取ってしまうもの。子供をナメてはいけない。コドモの目にだって、ヒドいものはヒドく映る。むしろ子供に見せるものだからこそ、ちゃんと丁寧に作らねばならないはず。まっとうな作り手ならそんなことは自明だ。

かつてのゴジラ映画には、そんなコドモをナメたような態度は見られなかったはずだ。たしかに明らかに「お子さま向け」のテイストがあったにしても、こんな小馬鹿にしたような作品を提供するような真似はしなかった。みんな真摯に映画づくりをしていただろう。旧シリーズはきちんと「まっとうな作り手」が映画を手がけていたのだ。

更にギドラ本来の伝統的設定さえもあっさりと歪曲させてしまった。これだけでも彼らがどれほどゴジラ愛が無いかがわかるだろう。
「ゴジラ」という世界では、キングギドラはぜったいに宇宙怪獣でなければいけないのだ。それはバットマンでブルース・ウエインが目の前で両親が殺されたのや、スーパーマンがクリプトン星から来た孤児と同じくらい不変でなければならないものだ。
いや、キングギドラだけではない。この作品は、それまでのすべてのゴジラシリーズの培ってきた設定をすべて否定してしまった。本作で破壊したのは都市や街ではなく、ゴジラの世界そのものだった。
この「ゴジラVSキングギドラ」が決定的なターニング・ポイントとなり、平成ゴジラは迷走を始める。

あえてあらすじも記す気にもならないが、この苦言をこの作品を観たひとなら分かっていただけるだろう。

たしかにゴジラシリーズといえばドル箱のコンテンツ、作れば金のなる木のようなものだ。だが、作ればなんだっていいというものではない。製作者たちは、本作で怪獣映画を単なる薄っぺらなモンキービジネスに貶めてしまった。曲がりなりにも伝統のある日本のお家芸、特撮映画・ゴジラで、である。いくら街を破壊しても、誇りという牙を失った怪獣は哀しい。ゴジラ俳優・薩摩剣八郎のムーヴも虚しく見えてくる。

キングギドラのデザインワークに先述の西川伸司、その中で演じるのはこれも"ゴジラ大好き漫画家"破裏拳竜。直撃世代のゴジラ信奉者たちは、すぐ足元まで届いてきていたのだが…

平成ゴジラは、時代の谷間に堕ちた皮肉だった。

怪獣映画がふたたび誇りを取り戻すのは「平成ガメラ」まで待たなくてはならなかった。

ゴジラVSキングギドラ
B00005ULJE
大森一樹 中川安奈 豊原功補
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2006年8月13日 (日)

雲のむこう、約束の場所

[2005年・監督/新海誠■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

雲のむこう、約束の場所

勿論、新海氏の才能が驚くほどのポテンシャルを秘めていることには全く異論の余地は無い。が、世に衝撃をもって迎えられた前作『ほしのこえ』と比べると、随分とインパクトは小さいかな、と思う。
それは無論ワン・アイデア勝負の短編とストーリーを見せなければならない長編との差もあろうが、今作は彼が『ほしのこえ』でオタク達を'うるるん'とさせた彼独自の『良さ』が、長尺になったことで逆にマイナス要因になってしまっているのではないかなァ、と感じてしまった。

技術的なところで云えば、少々モノローグに頼り過ぎかな、と。やはりシナリオで考えたとき必要なことを語らせるのはダイアローグだと思う。それがモノローグ中心で1時間以上見させられるのは少し辛い。…正直、その演出方法が途中でだんだん鬱陶しくなってきたりも感じてくる。

あと、背景はもの凄くリキが入ってるのに、それと比べるとキャラクターのクオリティが少し目劣りしてしまうのは残念。折角これだけのものを作ったのに、この尺を見せるにはあのキャラでは飽きてしまうかなぁ。
まぁ若いせいもあるけれど多少ひとりよがり気味かも。もうちょっとオトナになって他人の意見を取り入れるようになれればもっともっといい作品が出来るのではないだろうか。

…でも、そんなこんなの苦言の数々を置いといても、常に次回作を期待させるクリエイターであることは間違いはないだろう。

様々な場所で語られているだろうが、新海誠が80~90年代の日本のアニメを踏襲した、正当な後継者であることは事実。悪い見方をすれば本作は「エヴァンゲリオン」フォロワーであり、それが「オネアミスの翼」と押井守作品のバリバリ影響下でそれらをシャッフルして作った作品、というだけのことになってしまうのだが…それを肯定も拒絶もされるだろうけど、わたしは支持する。一応ね。

雲のむこう、約束の場所
新海誠 吉岡秀隆 萩原聖人

雲のむこう、約束の場所
雲のむこう、約束の場所 オリジナル・サウンドトラック ほしのこえ AIR 1 初回限定版 AIR 2 初回限定版 「雲のむこう、約束の場所」complete book
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