2006年9月28日 (木)

ドラゴンヘッド

[2003年・監督/飯田譲治■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

ウォーターボーイズ主役対決!!「NIGHT HEAD」の、というよりも「バトルヒーター」の、あの飯田譲治が監督ということで当初からかなり不安があった。
まぁ、「NIGHT HEAD」にせよ同じくTVからの連動の「アナザへヴン」にせよ、導入はハデに思わせぶりな大風呂敷を広げても結局広げた謎やらナンやらはまとめられないまま終わってしまうのが飯田譲治という人のつくるモノの特性みたいなモンだから、きっとこの「ドラゴンヘッド」も…とか思って期待はしていなかったのだが。

果たして、あまりにも思ったとおりな状況だったのでかえって驚いてしまった。

尻切れトンボじゃん。

…って原作があるだろ? これ。いったい原作はどこに追いやってしまったのかしらん??
ボクは原作を読んではいないが、たぶんこんな薄っぺらな内容ではないのだろうナ、くらいは想像できる。

キャッチーなモノで客を釣るのはべつに否定はしない。だが、提示した謎には答えを与えねばそれは不親切というものだろう。作り手には答える責任がある。飯田監督はそこが決定的に欠けている。

映画監督は興行師では無い。

客さえ入ればいいってもんでもないのだ。
もしそれに徹し続けるのなら、ボクは以後もう飯田の作品は観ることを辞める。

演者についても、藤木直人は意外な面を見せてくれるものの、SAYAKAはただピーピー泣き叫ぶ一本調子のままで、せっかくのオンナのコも画面に出てる意味がない。観ながら、キャラにもうちょっと主体性を持たせろよ…とか考えてしまった。
この映画の中では、主役の誰一人としてラストショットまで成長が無い。殊にSAYAKAの役はヒドい。これでは演じた彼女も可哀相というものだ。

脚本をつくるときの基本は「登場人物の成長物語=ビルドゥングスロマン 【Bildungsroman(独)】」である。そんなモノはシナリオ学校の初歩で教わることだろう。ハリウッド映画がスゴいのは、どんな映画の中でもこの要素が巧みに織り込まれていることにある。

だから多くの観客の支持を得るのだ。

成長のない人間達を見せられて、いったい何の感動があるというのか。少なくとも、自分はそんなモノを知らない。あるのならボクにメールで教えてほしい。

通常、こういったタイプのストーリーにおいては主人公は「世界を救う」か「世界の謎を解く」役割を担うものだ。そうでなければ作品として意味が無い。だが、ここで妻夫木は何もせず、ただ翻弄されているだけである。何も能動性の無い主役のドラマなぞ観ていて退屈なだけだ。

唯一の見どころといえば冒頭の脱線した新幹線のシーンのみ。せっかく作った渋谷駅周辺を再現した巨大な廃墟のセットも、もの凄く撮り方が悪いためにまったく活かされていない。
(映画を観た人の中にはここで『え? シブヤなんて出てたっけ?』とか思った者もいたのではないだろうか。それほど活かされてない。)

ボクがこれを観たのは9月1日…ちょうど『防災の日』だった。
そのシチュエィションに「ああ、この映画って単なるそーゆうパブリシティなのかな?」とか勝手に妙に納得して家路についた。
これほどの大作で心に何にも湧いてこない映画もめずらしい。

しょーがないよネ、中身も無けりゃオチも無かったんだから。

ドラゴンヘッド
B000FHIVW2
望月峯太郎 飯田譲治 妻夫木聡
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2006年8月31日 (木)

デビルマン

[2004年・監督/那須博之■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度★]

デビルマン まぁ、いろいろとあちこちで語られているとは思うし、その意味では間違いなく文句のない話題作ではあった。

まず何よりも脚本が悪い。そりゃ確かに原作漫画の『デビルマン』といえば屈指の名作、ボクの個人的ランキングでは戦後日本漫画のオールタイムベスト第2位(ちなみに1位は『あしたのジョー』)であり、既にファン各々がそれぞれ固まったイメージを持っているという難しい題材ではあるのだが…そんなことを一切排除しても、クオリティが低すぎるのだ。
逆にこれを観てコミック版の『デビルマン』がこんな程度の作品とはぜったいに誤解しないでほしい!! そんな勘違いをするなら是非原作をまず一読してもらいたい。
この日本には「デビルマンの布教」に命を懸けている人間がごまんといる。まるで秘密結社のようだ。否、秘密結社になってもぜんぜんおかしくないくらいに狂信的信者が多いのだ。かくいうボクだってそうだ。それほどに原作は素晴しい。
漫画『デビルマン』とは、カルトの経典なのだ。

脚本家に力が無いのであれば、いっそのこと原作のテキストどうりに書き上げてしまえばいいと思うのだが、そうではなく原作エピソードの順序を換え、かえって悪くしてしまっている。それは台詞でも同様で、原作中では不動明が言っていた重要な言葉を美樹に言わせてしまい、効果を台無しにするという失態を犯している。
もともとシナリオ担当者がこうしたハードなドラマを書くのには不向きなパーソナリティだったというのもあるだろうが、それだったならキチンとそれ向きの人を探してきて欲しいもんだ。…だって、東映アニメーションも制作に名を連ねているわけでしょ? こーいう話だったらアニメ畑の脚本家で適材がごまんといるだろうに。

大体において、作品のテーマを登場人物にだらだらと喋らせるなんぞ、駄目々々な脚本家の典型的パターン。そんなの、シナリオ学校で教える基本でしょ?? と思う。

と、ここまで書いて分かるように、要は製作者側に原作に対するリスペクトとか愛が無いのだ。ただ売れそうなコンテンツの版権を取り、企画を通して劇場のスケジュールを押さえただけ。ベルトコンベアーに乗せたマニュファクチュアな安かろう悪かろうの粗造製品に過ぎない。ウェルメイドなんか1ミクロンだって考えちゃいない。
そんなモノに対していかにも免罪符的に永井豪をカメオ出演させるんじゃあないっっ! と少々怒りも出ますわなぁ。

噂によれば、制作が1年も延びていたとか…でもそれだったなら、大傑作をズタボロに踏みにじるという悪魔の様な所業をする前に、スタッフ全員で原作を本がボロボロになるまで熟読しろ、と言いたい。

これはそもそも漫画というものを低く見ている映画界の風潮や偏見にも原因があると思う。ボクが漫画畑の人間だから言うわけでもないが、はっきり云ってそのへんの映画作ってる人たちなんかが絶対敵わないくらいに漫画というジャンルには人材が集まっている。
それはコミックマーケットのサークル参加者が概算5万人以上いる、という統計学的データからも明らかである。はたして、映画界にそれほどの裾野の広いアマチュア層がいるであろうか?
いや、映画界だけではない。他のあらゆるジャンルの創作活動において、それと同等のものは無いであろう。日本の漫画界というものは、世界でも類を見ない巨大なカテゴリーなのだ。それを支える層の厚さが違うのだ。
それを客観的に評価する目を、いい加減他のジャンル(小説や映画を作ってる輩)には気付いてほしい、と常日頃思っているのだが。

要は、そんな気持ちが日本の文化を覆っている限り、漫画を映像化する場合常にナメた作品しか粗製濫造されないということになってしまう。どこかでプライドや偏見を捨て、この悪連鎖をキチンと断ち切らないと、日本の映画界もダメになっていくだろう。
日本の漫画『オールドボーイ』が韓国で映像化→カンヌグランプリ受賞→ハリウッドでリメイクという世界の流れを日本の映画人・文化人連中はもっともっとよく研究して欲しい。


…話がそれてしまった。閑話休題。
だいたい、この公開の2004年といえば、いちばんの駄作はブッチギリで『CASSHERN』で決まりだと思っていたのに…いやはや『デビルマン』を観た後ではその『CASSHERN』でさえも「ナンだかんだいってもオモシロいじゃんこれー」(by Utada)とか思えて来てしまう。下には下があったものである。

おそらくやる気も出ないまま任された監督もかわいそう。いっそ辻真先が脚本を手がけていたTVシリーズ版のほうを実写化すればまだ良かったのに。そのほうが『ろくでなしBLUES』なんかでノリノリの根アカ不良番長的アクションを撮っている那須博之監督には合っていたと思う。そのあたりの那須作品はボクもおおいに好きなので、尚更本作は不本意。この一本によって那須監督の評価が一気に下がってしまった。本来なら能天気でアッパーな東映アクションを代表する名職人である。けっしてこの一作で印象を決定してほしくはない。
噂では、監督の意図とはまったく別の編集がなされてしまった、とも聞くが…
ただ、断言するが、作品をつくるのは監督の仕事だが、それがヒットするかどうかはプロデューサーの力量である。それは金策近作ジブリ「ゲド戦記」にも顕著に示されている。

これが那須監督の遺作となってしまったことがつくづく残念でならない。

デビルマン
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永井豪 那須真知子 那須博之
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デビルマン (1)
永井 豪 ダイナミックプロ

デビルマン (1)
デビルマン (4) デビルマン (3) デビルマン (5) デビルマン (2) デビルマン (2)
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2006年8月27日 (日)

鉄塔武蔵野線

[1997年・監督/長尾直樹■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

鉄塔武蔵野線 夏休み、誰でもやった自由研究。

そんな憧憬に包まれた、TVドラマ「電車男」で一気にブレイクした伊藤淳史くんがまだ『ちびのりだー』の面影も残す子供だった頃の一本だ。

武蔵野線、といわれる送電線の鉄塔を辿ってふたりの少年が行く。川の源流を目指すが如く。
なぜ? それは本人たちにもわからない。

'あそび'にはルールはあっても目的など無い。子供にとっては行為そのものが目的であり、そこに意味や理由など無いのだ。

だからひたすら自分たちの決めたその'あそび'のルールに従って進む。進み続ける。ルールどおりの儀式を行う。のどが渇いたらジュースを飲む。ひたすら飲む。子供たちの行動は原始的で単純でもある。

自分たちにも、どこがゴールなのかわからない。もしゴールしても、その先に何があるのかも知らない。

けれど大抵の'あそび'は日が暮れたら終わりになる。「カラスが鳴くから帰る」のだ。
だが、この男の子たちにとって、この'あそび'は日暮れになっても終わることがなく続く。

少年たちはそこで初めて気付くのだ。それが彼らにとっての、大いなる未知への旅なのだということを。これは、ひと夏の少年たちの冒険の物語。

夏休み、誰にも見せない、自分たちだけのひみつの自由研究。

たまには、ひぐらしの鳴くあの過ぎし夏の日を思い出しながら、この映画に浸ってみたい。

きっとあなたにとっても、大切な一本となるだろう。

鉄塔武蔵野線
B00009SF85
銀林みのる 長尾直樹 伊藤淳史
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2006年8月25日 (金)

タッチ

[2005年・監督/犬童一心■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★★]

タッチ スタンダード・エディション この原作が実写映画化されるのを聞いたとき、心配だったのは達也と和也の双子を誰がやるのかでも南ちゃんが誰になるかでもなく「あの長い漫画をどこまで話にすんのかな」だった。
少年サンデーコミックス版で全26巻。だから、おそらく劇場アニメ第一作「背番号のないエース」をベースに作っていくんじゃないか。で、続編を作り2部作とか3部作にするんだろう。そう思っていた。

だが犬童監督はその予想を見事に裏切り、すべてをたった一本の映画に凝縮させてしまった。

考えれば主演の三人は若く、そんな続編なんか作っている間にどんどん彼らの、役と同世代の"旬"は失われてしまう。結果かなり駆け足の展開にはなったが、一本で完結させたのは正解だろう。

本作でやはり特筆すべきは長澤まさみだ。

おそらく、もともとが彼女のためのアイドル映画的要素が企画としては強かったとは思うが、この一本の映画は彼女の瑞々しい一瞬の飛翔の瞬間を永遠に切り取ることに成功している。長澤まさみというひとりの女優の人生と、映画との幸福な出逢いがこのフィルムには記録されているのだ。
そのひとつの季節の1ページを僕らは永遠のものとして見続けることが出来る。映画はスクリーンに影を映し観る行為だが、ここで長澤まさみの生は光となり輝く。本作は、この幸せを堪能するだけで充分満足だろう。

犬童演出はある意味職人に徹してウェルメイドで観ていて飽きさせない。

けれど「金髪の草原」や「ジョゼと虎と魚たち」にハマったボクなんかにとっては『もっともっとヤっちゃってくれよ、犬童監督!!』なんて贅沢な欲求不満をちょっと感じたりもするんだけど。
…いや、ナニを期待したいのかは、わかる人だけわかってください。上の2作でこの監督が池脇千鶴にナニをさせたのかを知ってれば納得するでしょ。

タッチ スペシャル・エディション
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2006年8月 8日 (火)

時をかける少女(2006)

[2006年・監督/細田守■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

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すべての映画監督に当てはまることではないけれど、作り手として、おそらく一生に一回くらいしかつくることのできないrich harvestな一本というものがあると思う。掌中に大切にしまってあったものをそっと示すような、そんな優しくもちょっとほろ苦い味の小品。たとえば大林宣彦「転校生」「さびしんぼう」や相米慎二「翔んだカップル」、アニメ監督なら望月智充「きまぐれオレンジロード・あの日に帰りたい」とか。えてしてそれらは決して映画史的に記録されるほどの評価は得られないけれど、観た者の心にずっと残り続けるような大切なものになっていく。
誰もが心のどこかにだいじにしまっているものを掘り起こし、反芻させ、癒してくれる装置としてのフィクション。

この細田監督の「時かけ」も、そんな大切な一本になっていくような映画なんだと思う。

たぶんボクがまだ20代~30代初めくらいの年齢でこの作品を観たら、きっと自分にとってそんなかけがえのない存在になっただろう。
残念ながらそんな定義づけをしたファイルを開いてこの映画をそこに収うには、ボクは少しだけ歳をとってしまったけれど。

だから、この「時かけ」を観てそう感じたら、大切にして欲しいと思う。

これは観ている側を己れの心の中の過ぎし日々へと'タイムリープ'に誘(いざな)う映画。必見の一本。

時をかける少女 限定版
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時をかける少女 通常版
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