2006年8月18日 (金)

初恋

[2006年・監督/塙幸成■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★ 思い入れ度★★★]

初恋 (出演 宮崎あおい) 宮崎あおいは素晴しい。

本作の最大の魅力はそこに尽きる。
と同時に、塙幸成という監督の力量もこの作品の大きな見どころだと思う。

この塙監督という人物はボクは知らなかったが、非常に演出力のある、また作品をまとめる力のに長けた監督だと思う。この一作でも評価に値する。
次回作を期待できる作家だろう。

ただ、ボクが本作で気になってしまうのは、そのセリフ回し、だ。

あおいちゃん扮する主人公「みすず」の独白で用いられるそれは、妙に自己陶酔めいていて、個人的にはどうしても嫌悪感を抱かざるを得なかった。もちろん、そういった言い回しが堪らなく好きなヒトだっているだろうし、そういう御仁にとっては充分な陶酔感に浸れる映画ではある、と思うんだけど。

ただ、その点を除けば充分及第点な映画。

もうちょっと三億円を強奪する計画を立てた「何故」という理由や、「みすず」達ふたりの、互いへの心情の変化の(「好きになる」という)過程を丹念に、詳細に描写してくれれば、もっともっといい作品になったろうに、と思う。
少しだけ残念な作品。

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2006年8月11日 (金)

砂の器

[1974年・監督/野村芳太郎■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★]

砂の器 デジタルリマスター版 たとえばその人物が超一流の存在ではなくても、時として超一流さえも凌駕してしまうものを創造してしまうときがある。時代やその人物の才能の成熟具合、周囲の環境、などによって。

まさにそれは奇跡の瞬間が生んだ、奇跡の作品となる。

申し訳ないが、野村芳太郎は超一流の監督であるとは云えない。黒澤明や小津安二郎と比べればどうしても一ランクは下がってしまうだろう。(誤解のないよう断っておくが、野村芳太郎はマイ・フェイバリット監督の一人である)

だが、そんな野村が黒澤や小津をも越えてしまった「奇跡の作品」が本作だ。脚本・橋本忍、音楽・芥川也寸志、原作は松本清張。これらの才能が100%の力を発揮し融合したとき、300%にも500%にもなる完璧なものを創造しえた。

映画冒頭からまったくの暗中模索から導入される物語は、進むにつれて時としてムダ足を踏みつつ徐々に真実に近づいてゆく。そして終盤、芥川の交響曲を伴い丹波哲郎・加藤剛・加藤嘉の3つのシークエンスが同時進行しつつクライマックスを迎える。それはあたかも映像のアンサンブルのようにそれぞれの主題がからみ合い、見事なほどのカタルシスにまで到達する。

映画館で上映されるたび、あちこちですすり泣く音が暗い館内に響かないときはない。

考えてみれば、この3シークエンスが同時に進行しているはずがないのだ。だが映画とは時刻表に従って順列するのではなく、編集によって時空を超え感情の昂ぶりを表出させることなのだ。本作はこれを最高の形で見せてくれる。

世界では黒澤・小津・溝口などの作品のほうが上位ランクにくるだろう。日本映画の最高峰なら断然「七人の侍」と答える。

だが、ボクにとって日本映画のオール・タイム・ベストはこの「砂の器」と小林正樹監督の「人間の條件」である。

本編で使用された芥川也寸志の組曲「宿命」は、日本映画史上屈指の名曲だ。

一生のうち、必ず観ておかなければいけない一作。

砂の器 デジタルリマスター版
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松本清張 野村芳太郎 丹波哲郎
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砂の器 サウンドトラックより ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」
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2006年8月 7日 (月)

復讐するは我にあり

[1979年・監督/今村昌平■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★]

復讐するは我にあり デジタルリマスター版 今村昌平監督といえばカンヌを獲った「楢山節考」や「うなぎ」となるのだろうが、昔から同監督の作品を観ていたものにとってはそれよりもこの「復讐するは我にあり」を推す人も多い。

ということでずっと観たかったのだが、何故か機会を逃しつづけとうとう四半世紀、25年を経てようやく池袋新文芸坐にて観賞を実現した。
噂に違わず本作は今村監督の最もエネルギッシュな頃の一本。「楢山節考」よりもこちらのほうが『すげー作品』だった。

もちろん本作は実際の連続殺人事件を題材にしているのだけれど、本来なら(おそらく松本清張あたりなら)説明するであろう「殺人の動機」やそこに至った「理由」は語っていない。それはあたかも深作欣二が「仁義の墓場」で主人公の心理を一切理解しようとせず拒絶した、というのとは異質のもので、今村監督は殺人という主人公の行為を、食や排泄といった生や、性行為、死などとほぼ同質に描いてるんじゃあないだろうか。今村監督らしくすべてはエネルギッシュに描くけれど、どこかで冷静に見つめているように感じる。

主人公・榎津巌はキリシタンだが、神さえも存在しない。すべてが並列な世界では、超越者は不要だからだ。だから神にすがることもなく主人公は死を受け容れる。行為には報いをもって償わねばならないから。そのあとは、ただ「無」に帰すだけなのだ。

ところで作品中、池袋の映画館に入るシーンがあるのだけれど、どっかで見覚えがあると思ったらナンとそこは昔の文芸坐!
かつて中学・高校・大学時代に足繁く通った、ぷぅんとトイレの芳香剤の匂い漂うあの小屋ではないですか。
撮影された79年頃というと、たしか入場料4~500円くらいだっただろうか。最初に通い始めた頃は300円、それで二本観れたのだからいい映画館、いい時代でした。
それを建てかえられた新文芸坐で観る、というのも何やら感慨深いもの。偶然の成り行きとは云え、思わぬ想い出に浸ってしまった。

今村作品にはあまり評価も良くなかった「ええじゃないか」などもあるが、今改めて観るときっともっと違った印象を持つのだろうか。

復讐するは我にあり デジタルリマスター版
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