2006年8月12日 (土)

憂國

[1966年・監督三島由紀夫/■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

憂國 文士劇、というのがある。文壇の小説家連中が仲間うちで披露をする、云ってしまえば素人劇のようなものだ。今もあるのかどうかは知らないが、故・遠藤周作はそれを発展させ素人演劇集団「樹座」を主宰していた。(蛇足だが、我が姉もそこに所属していた。)筒井康隆なぞはその域を超え玄人はだしの活躍をしている。

この「憂國」をひとことで語るなら、「三島由紀夫の文士劇」である。

原作について今更語るまでもないだろう。それを三島本人がメガホンをとり、まったく原作に忠実な映像化に成功している。寸分違わぬくらいに。その点については見事なほどである。低予算、ということもあるだろうが、三島監督はそれさえも逆手に、能舞台をベースにした極めてミニマムなセットの中でのみ物語を進行させる。「近代能楽集」などの著作があり歌舞伎の新作などを創作、その上自ら演じることまでもしていた、日本の古典芸能に造詣の深かった三島らしい作品だ、と思う。作り手の抱くイメージをほぼ完璧に形にしているという点では非常に優れた映画だろう。ただ一点を除いては。

主演の三島が下手なのだ。

ここでの三島はまったく素人演技の域を出ない。増村保造「からっ風野郎」でヘタながらも鮮烈な印象を与える三島だが、本作では単なる演技経験の浅い者が一所懸命に演じているに過ぎない。

素人演技を観客に金を払わせ観せる、という点で、本作は小説家が趣味にあかせてつくった「文士劇」そのものへと堕してしまう。

加えて、切腹に対しての三島の拘り、ナルシスティックとも云える陶酔はその行末をすでに決定づけていたのを確認させる。

すでにこの頃より、三島由紀夫は「自らの腹を切る」ことそのものに耐え難いほどの憧憬を抱いていたのだ。昭和45年11月25日の彼の行動は、日本中を、世界をも巻き込んだ彼のその願望の完遂に過ぎない。その意味では三島/盾の会の「決起」は成功だったのだろう。

生身の三島本人の監督・主演によって、それを実感させてくれるというだけでも極めて歴史的価値のある、戦後史を検証する上でも貴重な作品。

本作を、極めてアーティスティックな作品ととるか、単なるナルシスティックなプライベートフィルムと捉えるかは異論の分かれるところだろう。
だが、観るべき価値のある一作であることだけは確かだ。

正直、一生観ることは出来ないと思っていたが、奇跡的にネガが「発掘」され上映、ソフト化され今ではこうして容易に観賞することができるようになった。観ることが叶わなかった35年もの月日の重み、というものも考えつつ、本作を確認して欲しい。

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憂國
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2006年8月11日 (金)

旅芸人の記録

[1975年・監督/テオ・アンゲロプロス■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★★★ 思い入れ度★★]

上映時間3時間52分。ほぼ4時間、映画館の椅子に座り続け、眼前の映像を凝視するということはそれだけで「時計じかけのオレンジ」の矯正プログラム並みに途方もない激務だ。もしこれがタルコフスキーの作品なら、その尺を聞いただけで絶望感に苛まれるだろう。

ところが、この「旅芸人の記録」はその尺の長さを苦痛には感じない。

物語の展開は決して派手ではなく、むしろ淡々と、どちらかというとゆったりとしたテンポで進む。時代も戦時を描いてはいるものの、派手な戦闘シーンが展開されるわけでもない。カット割も殆どがほぼ全体を俯瞰ぎみに捉えて、地味。ワンシーン・ワンカットを多用した長回しの連続。各々の登場人物もアップで捉えられることが少なく、ともすると誰が誰だか印象が薄くなってしまう。

なのに、不思議と「飽きる」ことがない。抑えた演出や長回しはリアリズムの希求であり、「リアル」であることが観ている側の眼を画面に惹き込ませてゆく。

ただ、第二次世界大戦前後のギリシャの歴史や、モチーフとなっているギリシャ神話の知識が無いと、この映画の魅力を本当に愉しむことはできないだろう。観賞前に「ギリシャ神話の基礎知識」くらいは予習しておくことが必修項目。

それにしても、初公開は東京・岩波ホールとは…あんなに座り心地の悪い劇場で4時間とは、さぞ苦痛だったことだろうな…

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