ゆきゆきて、神軍
[1987年・監督/原一男■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★]
これは事実である!!
と、梶原一騎でなくとも断言できる、凄まじいとしか言いようの無い映画。
現代の日本にも思想犯がいた。それが奥崎謙三だ。
昭和天皇にパチンコを向け、天皇のアイコラポルノビラを撒いた男。人一人殺してもいるが、彼にとってはドストエフスキーの『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフのように「正しい行動」だった。だから反省はしていない。
奥崎はスクリーンの枠さえ飛び出さんかぎりに疾走する。その姿は強引に泥田に分け入っていくダンプカーのようだ。Wikipediaでの奥崎謙三の略歴を眺めただけでもクラクラするほどだ。明らかに、我々の一般常識とは相容れない人物。
そんなワン・アンド・オンリーな男を追った、原一男の大傑作ドキュメンタリー。
本編と共に監督の原一男が綴ったライナーノート(初公開時にはこれがパンフレットとして劇場内で販売していた)があるので、それを併読しながらの観賞を薦めたい。
尚、この映画について極めて詳細な内容を記したサイトを見つけたのでリンクさせていただきます。
かなり映画の中身を細かく記述しているので、それをあまり好まない方はご注意を。もちろんオチも明記されてますので。
…って、ドキュメンタリーなんだから『オチ』ってのはないですね。
よく云われていることだが、奥崎はこの映画によってますます「奥崎謙三」としての自分を肥大化し、演じ続けるようになったようだ。
『観られる』『記録される』というのはそれほどに魅惑的なのだ。
奥崎は日本や社会というものを舞台に見立て、「奥崎謙三」という役を演じることに意義を見出した。その熱病にも似たものは映画の撮影が終わっても醒めることがなく、暴走を続けることになる。
ついに映画の枠そのものを飛び越え、奥崎こそが、「ブレーキの壊れたダンプカー」そのものになってしまったのだ。その瞬間から、本作は極めて稀有な『予告された殺人の記録』という役回りを担わされてしまうことにもなる。いや、実際の殺人そのものはしていないが。
我々がこの映画で突きつけられるのは、その、人が人以上のものになろうと豹変していく過程だったのかもしれない。
もの凄いパワー溢れる映画だと思う。もし、これが「映画」と読んでいいのなら。
この作品は「映画」というカテゴリーにはとうてい収まりきらぬほどパワフルな"何か"なのだ。
実を云うとボク自身も、この作品のレビューを書こうにもどうにも書けず、ここにアップするのに1ヶ月を費やしてしまった。「ゆきゆきて、進軍」の前では、完全に思考停止状態に陥らされてしまう。今だってまだまだ不充分とは感じているのだが、もはや言葉を紡いだところでこの圧倒的な迫力には及ぶべくもない。
これはボクの敗北宣言だ。
その証拠と言っていいか、これを観終わったあとものすごく疲れる。放心状態になり、しばらくは何も手につかない。その虚脱感は数日抜けないくらいだ。
まるでこのフィルムを媒介に、奥崎謙三が観客から精気を吸い取り自らのエネルギーにしているかのように感じるのはボクだけだろうか。
そんな奥崎も2005年鬼籍に入った。
この吸い取られた莫大なエネルギーはいったいどこへ行くのだろうか。
ふと、思う。
ゆきゆきて、神軍
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