2006年9月28日 (木)

ドラゴンヘッド

[2003年・監督/飯田譲治■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

ウォーターボーイズ主役対決!!「NIGHT HEAD」の、というよりも「バトルヒーター」の、あの飯田譲治が監督ということで当初からかなり不安があった。
まぁ、「NIGHT HEAD」にせよ同じくTVからの連動の「アナザへヴン」にせよ、導入はハデに思わせぶりな大風呂敷を広げても結局広げた謎やらナンやらはまとめられないまま終わってしまうのが飯田譲治という人のつくるモノの特性みたいなモンだから、きっとこの「ドラゴンヘッド」も…とか思って期待はしていなかったのだが。

果たして、あまりにも思ったとおりな状況だったのでかえって驚いてしまった。

尻切れトンボじゃん。

…って原作があるだろ? これ。いったい原作はどこに追いやってしまったのかしらん??
ボクは原作を読んではいないが、たぶんこんな薄っぺらな内容ではないのだろうナ、くらいは想像できる。

キャッチーなモノで客を釣るのはべつに否定はしない。だが、提示した謎には答えを与えねばそれは不親切というものだろう。作り手には答える責任がある。飯田監督はそこが決定的に欠けている。

映画監督は興行師では無い。

客さえ入ればいいってもんでもないのだ。
もしそれに徹し続けるのなら、ボクは以後もう飯田の作品は観ることを辞める。

演者についても、藤木直人は意外な面を見せてくれるものの、SAYAKAはただピーピー泣き叫ぶ一本調子のままで、せっかくのオンナのコも画面に出てる意味がない。観ながら、キャラにもうちょっと主体性を持たせろよ…とか考えてしまった。
この映画の中では、主役の誰一人としてラストショットまで成長が無い。殊にSAYAKAの役はヒドい。これでは演じた彼女も可哀相というものだ。

脚本をつくるときの基本は「登場人物の成長物語=ビルドゥングスロマン 【Bildungsroman(独)】」である。そんなモノはシナリオ学校の初歩で教わることだろう。ハリウッド映画がスゴいのは、どんな映画の中でもこの要素が巧みに織り込まれていることにある。

だから多くの観客の支持を得るのだ。

成長のない人間達を見せられて、いったい何の感動があるというのか。少なくとも、自分はそんなモノを知らない。あるのならボクにメールで教えてほしい。

通常、こういったタイプのストーリーにおいては主人公は「世界を救う」か「世界の謎を解く」役割を担うものだ。そうでなければ作品として意味が無い。だが、ここで妻夫木は何もせず、ただ翻弄されているだけである。何も能動性の無い主役のドラマなぞ観ていて退屈なだけだ。

唯一の見どころといえば冒頭の脱線した新幹線のシーンのみ。せっかく作った渋谷駅周辺を再現した巨大な廃墟のセットも、もの凄く撮り方が悪いためにまったく活かされていない。
(映画を観た人の中にはここで『え? シブヤなんて出てたっけ?』とか思った者もいたのではないだろうか。それほど活かされてない。)

ボクがこれを観たのは9月1日…ちょうど『防災の日』だった。
そのシチュエィションに「ああ、この映画って単なるそーゆうパブリシティなのかな?」とか勝手に妙に納得して家路についた。
これほどの大作で心に何にも湧いてこない映画もめずらしい。

しょーがないよネ、中身も無けりゃオチも無かったんだから。

ドラゴンヘッド
B000FHIVW2
望月峯太郎 飯田譲治 妻夫木聡
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2006年9月26日 (火)

8マン すべての寂しい夜のために

[1992年・監督/堀内安博■おすすめ度なし 観ておくべき度★ 思い入れ度なし]

これが伝説の実写版8マンの勇姿だ!! 色違いの頬は父・宍戸錠へのリスペクトか!?もはや最低映画として「観ておくべき」一本。評価の★はそのため。

東京ドームでの"ワールド・プレミア"の壇上にて出演の宍戸錠がこう言った。

「これまで何百本と映画に出てきたが、こんなゲンバは初めてだった」

これをあえてお披露目の席で口に出さざるを得ないほど、エースのジョーの心中には含む一物があったのだろう。宍戸開との初の父子共演なのに、である。

監督・堀内靖博、脚本・宮崎満教、鈴木淳子。脚本の宮崎は企画と製作総指揮も担当している。
ところが、この3人、検索にかけてもこの「8マン」以外ではこれ以前も以後も映画制作にまったく携わっていない。本作から15年近くを経るのに、である。

つまり、この映画は映画の素人の集団がつくったシロモノだったのだ。

<追記:その後ロマポ太郎さんにより、監督の経歴をご指摘いただきました。こちらのサイトに関わった映画リストがあります。以上訂正させていただきます。>

もともとこれを製作したリム出版という会社は、社長だかオーナーが大の8マン好きで、コミック版8マンの復刻再販にも力を入れていた。原作者の不幸な逮捕により当時発行できなくなっていた最終話を世に初めてリリースし、ようやく完結させたという大功労は高く評価していいと思う。
が、それに乗じて製作したこの映画は、いったい何のためにつくったのか分からないほどお粗末なものになってしまった。

まず何よりも、当の8マンの造型がヒドい。ヒドすぎる。画像を見つけたから貼っておくが(情報提供:キッド氏)これが動いている映像はもっと悲しいくらい貧相だ。いったいこの造型にOKを出したのは誰だ!? と思いたくなる。
そもそも原作を見ても分かるとおり、8マンには表情がある。つまり生身の人間の顔のイメージが一般的にはある筈である。なのに、本作ではウルトラマンのようなフルフェイスのマスクにされた。そのために頭身が大きく、不恰好になってしまっている。オマケに出来そのものも表面のモコモコが目立っていてチープ。あの当時の造型技術なら、ハーフマスクでも充分カッコいいモノができたはずだ。

特撮も…8マンと云えばアニメでも知られたあの「走り」だが、どうにも滑稽に見えてしようが無い。オプチカル処理をして残像がある、という表現は、ボク個人としては「まァ、いっかな」とも思うのだけれど。

いろいろと多々問題のある本作だが、この作品の語り継がれる理由は、そのたった一度の「東京ドームでの上映」にあった。

たしか、入場料は6000~6500円くらいでチケットを売っていたと思うのだが、ボクはタダで行った。べつにボクが出版関係者だったからとかでは全然ない。
イベントの一週間くらい前から、都内の書店などでこのイベントのタダ券が置かれ、配布されるようになったのだ。ボクはたしか池袋の西武あたりの本屋でこのタダ券をゲットした。山のように置いてあったのを覚えている。

いったい本当に6000円もの大金を払って行った者なぞいたのだろうか? と訝しんでしまうが、これが実際いたことも確かだから始末に負えない。その人達はもの凄く不幸な星の下に生まれたのだと思って諦めるほかない。
ここからも分かるとおり、チケットは思いっきり売れなかったのだろう。
だが、その結果ちゃんと金を払った客はスタンド席なのに、たまたま招待タダ券を入手したものがアリーナ席に座る…という捩れ状態も生み出してしまった。このあたりからもこの企画のコケ加減が推し量れようというものだ。

その上、イベントそのものも計画図と比べあまりにも貧相な出来だった。大仰なセットや大花火、レーザーカクテルでの演出…となっていたハズが、フタを開けてみればぽつねんと大スクリーンが鎮座してるだけ。花火も数発上げられただけで終わってしまった。
冒頭の宍戸錠のボヤきも当然だと納得できるイベントだった。

まさに「社運を賭けて」の映画「8マン」だったが、これが大コケしてリムは倒産、本当に社運が尽きてしまった。

当時、友人の西崎まりのがこのリム出版で小説の挿絵の仕事をしていたため多少はリアルタイムでいろんな情報はボクの耳に入ってきていたため、8マン→倒産への一部始終は観察するように見させてもらった。この業界でボクも既に20年近く飯を喰っているが、このリム出版ほど見事なツブれ方はなかった。もはや天晴れ、である。

こうしてリム出版は8マンと共に沈んだ。もともとが8マンのために興した会社だったので、オーナーとしては本望だったろう。多くの関係者に迷惑をかけたという事実に目を瞑れば、それはそれで一本筋が通っていた

ただ、ボクとして残念だったのは、当時映画との連動企画として製作された「右曲がりのダンディー」の末松正博氏描く新作コミック「エイトマン」が、この騒動のお蔭で結局未完のままになってしまったということ。この漫画はハイコントラストを基調に、スタイリッシュなフィルム・ノワール調の絵づくりでかなりカッコいい作品に仕上がっていたのだが…

結局、原本の「8マン」は完結させたが、変わりに新しい「エイトマン」を未完にさせてしまった、というのは、リム出版も罪つくりではある…

[関連リンク]

エイトマン 末松正博版
…名作っ!!
平井 和正 桑田 二郎 末松 正博
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宇宙貨物船レムナント6

[1996年・監督/万田邦敏■おすすめ度なし 観ておくべき度なし 思い入れ度なし]

レムナント6おそらく、この作品を撮ったひとは、映画の撮り方を知らないのではないだろうか。

そう思えるほど、この映画は悪い。
レベルが低い、というのではない。「わるい」のだ。

脚本上の台詞回しがそれほど悪いわけでもなかっただろう。無論脚本そのものに問題がまったく無いとは言い難いが、それ以上の問題はまさに「撮り方」、カメラワークにある。

映画を撮るものには絵コンテを描ける者とそうでない者がある。この監督はおそらく後者だろう。もし前者だったら、尚更問題だ。

どこかでこの監督が本作を撮影したときの意図について「あえてハデな絵や構図は押さえ、地味な絵作りを心がけた」といったようなことを話していたのを覚えている。

…そうじゃないだろ? と思う。

自論だが、殊にSF映画とは「絵づくり」である。

たとえばアオり、俯瞰、斜め構図、フィッシュアイ…様々なカメラアングルのテクニックを駆使し「おもしろい画」を提示するのがSF映画を作るものの努めというものだろう。
この監督は、そういった努力を放棄している。絵が圧倒的につまらないのだ。

特にこのお話はほぼ100%が貨物船の船内でドラマが進展し、主要な場所は狭い2,3のセットのみだ。船内に覗き窓も無く、外の宇宙空間とは断絶している。
つまり、「内」と「外」とはまったく接触や連続性が無い。
そんな設定では、ともすれば単に狭く、限定された室内でのみのドラマは、外の世界の無限大の広さとの連関は途絶し、観る側からは非常に退屈なただの室内セットドラマと化してしまう。

ボクはいわゆる「潜水艦もの」というジャンルが嫌いだが、その理由もここにある。
宇宙船ものというのは、じつは以外と撮り方・見せ方の難しいジャンルなのだ。

だから尚更カメラワークなどには細心の注意を向けなければ、面白くはならない。絵コンテをしっかりと練るほどでなければいけない。
それをあえて監督が放棄した時点で「レムナント6」は最初から失敗作を約束されたようなものであった。

あとは…この万田監督というひと、もの凄く音楽のセンスが悪い。選曲も、その使い方も。ボクは彼の他の作品も観たが、正直そこについては評価できない。
あくまでも個人的意見として、と断るが、ボクとしてはこの監督については評価は無し、である。その理由は、ボク自身の考える演出理論とまったく相容れない法則で映画を撮っているから…とだけ言うに止めておこう。
必要ならばレポート10枚でも20枚にでも渡って論じますケドね。

押井守が総合監修としてクレジットされている…が、本人のコメントではたしか「タイトルの『レムナント』って言葉を考えてあげただけ」だったかと思う。この言の裏に含ませた押井の見解を推して知るべし。

宇宙貨物船レムナント6(VHS VIDEO)
B00005EE4E
特撮(映像)
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2006年9月24日 (日)

ガンヘッド

[1989年・監督/原田眞人■おすすめ度★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★]

B級くささムンムンボクの知人の小説家がこれを観て言った。

「だれか止めるヤツはいなかったのかよ…」

本作をたった一言で表現するなら『ぐだぐだ』である。全体がユルく、締まりが無い。

ハード面でのスタッフはいい。はっきりいってこれでもか、というくらいにいい。殊にガンヘッドの造型は河森正治。あのMACROSSの完全変形バルキリーを創造した天才である。

なのに、なぜそういった印象を抱いてしまうのか?

思うに最大の理由は、劇中全体の台詞回しにあるのではないだろうか。カッコいいように見えて、その実もの凄く薄っぺらでクサいのだ。聴いていてだんだんに白けてくる。キャラクターもまた薄っぺらだ。

想像の域だが、監督もつとめた脚本の原田眞人はアニメ畑(サンライズ)からの企画ということでケレン味をたっぷりと加えて描けばいいと考えたのではないだろうか。だが、原田の考えるそのケレン味は残念だが実写という媒体との相性があまり良くはなかった。
必要だったのは「アニメ的」であることではないし、原田の考える「アニメ」は、あまりにも古いイメージのままだったのだろう。
いや、ひょっとしたらクレジットではあくまで原田眞人だが、それ以外の多くの手が入ってしまってこんなコトになっているのかもしれない。
観ている側との意識のギャップは、こんなところにあったのではないだろうか。

企画そのものを吟味すれば、「ガンヘッド」の方向性は決して間違ってはいなかっただろう。もしすべてが上手く回っていれば日本の特撮映画のその後を方向づけるほどの意欲的な作品だったはずだ。

これは、多くの人の手を経ることにより、次第に先鋭さを削り取られ、結果やる気のない駄作となってしまうという日本映画の最悪の道を通ってできてしまった墓標なのだ。

我々は、この「ガンヘッド」の屍を乗り超えていかねばならない。

同じ頃に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開され、その完成度やアイデアの詰め方の凄さに、日米の差はますます広がることを思い知らされた------とは、先の同じ小説家の談。俗に「さよならジュピター、また来てゴジラ」と揶揄されたこの時代の日本特撮映画の現状だが、おそらくはこの「ガンヘッド」がとどのつまりとなってしまったのではないだろうか。
海外公開ではついにクレジットには
"Directed by ALAN SMITHY"
の文字まで刻まれることになる。ここまでくると、もう非難より同情してやりたくもなってくる。
(ちなみに日本の作品でアラン・スミシー監督作となったのは他に「クライシス2050」がある)

だが、今にして思えば、「ガンヘッド」のそのユルさ・薄っぺらさはもの凄くB級臭漂う芳しき香りで、改めて今観てみればそれはそれなりに楽しめるのかもしれない。

いつか再観賞をしてみたい作品ではある。

「ガンヘッド」についての参考サイト→Club"Bバンガーズ"

ガンヘッド
B000JRYN66
高嶋政宏 原田眞人 ブレンダ・バーキ


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2006年8月23日 (水)

日本沈没(1973)

[1973年・監督/森谷司郎■おすすめ度★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

日本沈没 リメイクされた2006年版とは違い、1973年の森谷版は原作小説にほぼ忠実に進行する。
地球物理学者・竹内均の監修の下再現される日本列島沈没の過程は説得力をもって描かれ、監修者の竹内本人が特別出演(!)し、首相・丹波哲郎の前で映像を交えプレートテクトニクス論を「こう、ずるっ、ずるっと…」と説明するシーンはこの映画の最も見応えのあるシーンだろう。

CGによる凄い映像を見慣れてしまった今ではかなり見劣りもしてしまうだろうが、本編の日本各地に起きる災害を表現した特撮は、当時の円谷プロの技術の粋をすべて注ぎ込んだ比類なき傑作映像だと思う。
たとえそれがミニチュアだと判っていても、それを作った職人芸を堪能しろ!! 「特撮」とはそういう風に味わうものなのだ。

東京が大地震で壊滅していくさまなど、阪神大震災を経てきた現在のほうがより真に迫って観る側に訴えかけてくるだろう。

だが…悲しいかな、当時の日本では「スペクタクル大作」を作るには、映画会社に力が無さすぎた。本来、都市の壊滅を描くなら、その全景を捉えた俯瞰的構図が必須なはずなのだが、そういった映像は殆ど見られない。当時の技術でリアルに再現することは不可能だったのだろう。唯一、日本列島全体をミニチュアセットで再現しただけである。
(それでも全長十メートル程度の巨大セットは作っていたという覚えがあるが)
あとは殆ど路地裏のようなところを人々が右往左往する、というまるで戦争映画の定番空襲シーンのようなショットばかり。

たしかに小説のとおりに映像化するにはあの当時では20倍くらいの予算でも難しかっただろう。今のように自衛隊の協力なども得られぬ時代、使えるのは所謂『東宝自衛隊』しか無かったろうし。

更に、それを製作者側も承知していたのか、脚本も萎縮して矮小な展開を余儀なくされる。
殆どの展開が『D計画』の指令本部内、セリフのやりとりだけで進んでいってしまうのだ。やれ「名古屋が壊滅した」の、「××が沈んだ」の…と、現場を絵で見せずに済ましてしまう。これではまるで演劇の一幕舞台ものだ。その説明的台詞の表現の仕方、入れるタイミングも良くはない。

よくNHK大河ドラマで、何十畳の大広間で裃の武士たちが座して会議をしたまま回が終わってしまうようなことがあるかと思うが、本作はまさにその状態が続くのだ。

これではスペクタキュラー感は削がれてしまう。

あの頃の日本映画界の状況を考えれば、それでもがんばったほうなのかもしれない。だが、それに甘んじ過ぎる橋本忍の脚本はあまりに稚拙だ。とても「砂の器」という不朽の名作を書いた同一人物とは思えないほど。
もっとも、その橋本忍は監督も務め以降「幻の湖」という'迷作'も世に送り出すことになるが…

それでも、丹波首相の熱演はさすが名優、と唸らせる。島田正吾扮する政界の黒幕・渡老人から「このまま何もせんほうがいい」と云われ瞳を真赤に充血させ涙を溢れんばかりにするさまは、丹波哲郎の歴代名シーンベスト10に入れてもいいほど素晴しいとボクは思っている。
(他は「砂の器」の『繰り返し、繰り返し…』とか。観てないけど「ノストラダムスの大予言」の演説もすごいらしいので、ベスト10に入れることに決定。観てないけど。)
この丹波哲郎を観るだけでも充分価値はある。

「日本沈没」は、後に製作されたTVシリーズ版のほうが円谷プロもその誇りを賭けて作ったかのように特撮に迫力があり、凄い。内容もずっと濃厚で、映画版を遥かに凌ぐ作品となっている。

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2006年8月20日 (日)

日本沈没(2006)

[2006年・監督/樋口真嗣■おすすめ度★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

リメイクものは旧オリジナル作と比較される。それは宿命だ。
なるべくそういった視点は省いて作品の評価はしたい、とは思うのだが。

'73年版と比べると、特撮(と云うよりCG)技術は飛躍的に進歩し、33年前には消化不良ぎみで本当は見たかったスペクタキュラーなシーンは充分に堪能できる。このあたりは旧作を完全に凌いでいる。
旧作やオリジナル小説とは違うラストも、主人公の自己犠牲的ヒロイズムはウルトラマンやゲッターロボなどで育くまれた遺伝子を持った樋口監督ならば、それもまた是だと思う。

かつ、樋口監督のオリジナルへのリスペクト魂は様々にちりばめられたアイテムからも充分伝わってくる。まァボク個人としては、田所博士の「科学者にとっていちばん大切なことは…カンです!!」のセリフと、'男の船'ケルマディック号が出てこなかったのはちょっと残念ではあったけれど。
全体を比較しても、映画としての総合的な評価としては旧・森谷版よりも樋口版のほうが上だとボクは思う。
正直、自称『日本沈没』マニアなボクでも、旧映画版はイマイチと思っているのだが。このあたりは樋口真嗣の絵作りが並々ならぬ力量があることの証しだろう。

問題なのは、人間の機微が描けていないトコなのだ。

確かに絵づくりはすごい。だが、それに伴うべき人間の心理に厚みがない。その点では旧作のほうに軍配が上がる。たとえば草なぎ君と柴崎コウの関係は、本編中描かれているのは、もともとが助けて助けられただけ。以降2,3回会っただけであり、そこから物語上重要な「一緒に住もう」と草なぎ君が言うところまでの感情の積み重ね、その過程がまったく描かれていない。だからけっこう唐突感が否めない。また、二人が幾度も再会するが、どうして互いの居場所をそう容易に捜索が可能だったのかが(容易そうに見受けられるだけ、なのかもしれないが)説明不足だ。
(そこを観客の想像力に頼ってしまうのは作り手の怠慢、という意味で)

必要なのは、どういったエピソードがあって、そこでどのように感情が層を増し変化していくのかであって、その「感情の変化」をきちんと示さないとただエピソードを羅列しただけになってしまうのだ。
…まぁ、そこまでヒドいというわけでもないけれど。
エピソードとは、感情の階段を一歩一歩登らせる過程を見せる手段である。残念ながら樋口版「日本沈没」にはそれが出来ていない。悪いが、台詞も薄かった。

それがシナリオからだけの因なのかもわからないけれど、前作「ローレライ」も併せて観るにつけ、どうも樋口監督のほうにも問題があるじゃないだろうか…

人間ってさ、もっともっと複雑で、重層的なものなんだよね。

だから本作から得られる観客側の感情も、それは「どこかで以前に見た」ことのある風景に己れのメモリの蓄積が触発されただけのものになってしまい、この作品から受ける独立した感動というものは発露されてはこないのだ。

ただ、だからと云って旧作の脚本の出来がいいか、ということになるとそれは違う。
あっちはあっちで脚本の出来は最悪である、と断言はしておこう。(旧「日本沈没」も近日エントリ予定)

もっともっと、人間も深く描いて欲しかった。それがあれば満点な出来。

それと、これは旧作も同じなのだが「どんどん日本の陸地が沈んで減っていく」という俯瞰的イメージがどうしても伝わってこないのは何故だろう…
ディザスター映画のはずなのに、ディザスター感がいまいちなのも残念。

やはり「日本沈没」の最高傑作TVシリーズ版を置いて他には無し、と改めて実感。

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2006年8月13日 (日)

雲のむこう、約束の場所

[2005年・監督/新海誠■おすすめ度★★★★ 観ておくべき度★★ 思い入れ度★★]

雲のむこう、約束の場所

勿論、新海氏の才能が驚くほどのポテンシャルを秘めていることには全く異論の余地は無い。が、世に衝撃をもって迎えられた前作『ほしのこえ』と比べると、随分とインパクトは小さいかな、と思う。
それは無論ワン・アイデア勝負の短編とストーリーを見せなければならない長編との差もあろうが、今作は彼が『ほしのこえ』でオタク達を'うるるん'とさせた彼独自の『良さ』が、長尺になったことで逆にマイナス要因になってしまっているのではないかなァ、と感じてしまった。

技術的なところで云えば、少々モノローグに頼り過ぎかな、と。やはりシナリオで考えたとき必要なことを語らせるのはダイアローグだと思う。それがモノローグ中心で1時間以上見させられるのは少し辛い。…正直、その演出方法が途中でだんだん鬱陶しくなってきたりも感じてくる。

あと、背景はもの凄くリキが入ってるのに、それと比べるとキャラクターのクオリティが少し目劣りしてしまうのは残念。折角これだけのものを作ったのに、この尺を見せるにはあのキャラでは飽きてしまうかなぁ。
まぁ若いせいもあるけれど多少ひとりよがり気味かも。もうちょっとオトナになって他人の意見を取り入れるようになれればもっともっといい作品が出来るのではないだろうか。

…でも、そんなこんなの苦言の数々を置いといても、常に次回作を期待させるクリエイターであることは間違いはないだろう。

様々な場所で語られているだろうが、新海誠が80~90年代の日本のアニメを踏襲した、正当な後継者であることは事実。悪い見方をすれば本作は「エヴァンゲリオン」フォロワーであり、それが「オネアミスの翼」と押井守作品のバリバリ影響下でそれらをシャッフルして作った作品、というだけのことになってしまうのだが…それを肯定も拒絶もされるだろうけど、わたしは支持する。一応ね。

雲のむこう、約束の場所
新海誠 吉岡秀隆 萩原聖人

雲のむこう、約束の場所
雲のむこう、約束の場所 オリジナル・サウンドトラック ほしのこえ AIR 1 初回限定版 AIR 2 初回限定版 「雲のむこう、約束の場所」complete book
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2006年8月 8日 (火)

時をかける少女(2006)

[2006年・監督/細田守■おすすめ度★★★★★ 観ておくべき度★★★★★ 思い入れ度★★★★★]

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すべての映画監督に当てはまることではないけれど、作り手として、おそらく一生に一回くらいしかつくることのできないrich harvestな一本というものがあると思う。掌中に大切にしまってあったものをそっと示すような、そんな優しくもちょっとほろ苦い味の小品。たとえば大林宣彦「転校生」「さびしんぼう」や相米慎二「翔んだカップル」、アニメ監督なら望月智充「きまぐれオレンジロード・あの日に帰りたい」とか。えてしてそれらは決して映画史的に記録されるほどの評価は得られないけれど、観た者の心にずっと残り続けるような大切なものになっていく。
誰もが心のどこかにだいじにしまっているものを掘り起こし、反芻させ、癒してくれる装置としてのフィクション。

この細田監督の「時かけ」も、そんな大切な一本になっていくような映画なんだと思う。

たぶんボクがまだ20代~30代初めくらいの年齢でこの作品を観たら、きっと自分にとってそんなかけがえのない存在になっただろう。
残念ながらそんな定義づけをしたファイルを開いてこの映画をそこに収うには、ボクは少しだけ歳をとってしまったけれど。

だから、この「時かけ」を観てそう感じたら、大切にして欲しいと思う。

これは観ている側を己れの心の中の過ぎし日々へと'タイムリープ'に誘(いざな)う映画。必見の一本。

時をかける少女 限定版
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時をかける少女 通常版
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